樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《大民主 中国没有 「徳」与「賽」》⇒《中国に 民主と科学は 望めない》
*毛沢東は「大民主」とはいうものの、「徳」(=徳莫克拉西=デモクラシー)も「賽」(=賽因斯=サイエンス)もない。ならば、反対意見は許さない「大民主」はインチキでしかない。
  【知道中国 665回】            一一・十一・初六

     ――革命はカクメイ、ショウバイは商売です

     『我永遠不能忘記』(李敦茂 太平書局 2010年)
 
 若き日を回想した著者の叙事詩集である。幼い頃から誰に教えられることもなく詩作に熱中していたと綴っているだけあって、作品を年代順に読み進むと、そのまま「毛沢東のよい子世代」が歩んだ時代情況が、若者の直情気味の視線を通して浮かび上がってくるように思える。どれも興味深い作品だが、わけても文革が林彪や四人組による剥き出しの権力闘争の様相を見せ始めた頃に、文革当初の思いを綴った「那個時候(あの頃)」が面白い。文革当初に毛沢東が掲げた「魂の革命」が嘘っぱちだと判ってからの作品である。

 あの天安門の日々・・・雪崩のように押し寄せる紅衛兵(わこうど)
 喉も張り裂けよと叫んだ「毛主席万歳、万歳、万々歳」「林副主席千歳、千歳、千々歳」
 熱い念いは広場に漲り、大地を揺さぶり、紅衛兵(ぼくら)の心を切なく締め付ける
 1966年8月の紅衛兵(どうし)たちよ、それが僕らの凡てだった
 あの年、北京の秋空は松明のように輝かしく燃え盛っていた
 僕たちは誰もが、このまま天地(せかい)をでんぐりかえすことが出来ると信じた
 僕たちは毛主席の戦士、勇敢な戦士、真正直な戦士だった
 祖国を資本主義の道に堕とそうとする不逞な輩を炙り出せ、掴み出して痛めつけろ
 中途半端はダメだ、やり過ぎるくらいがいいのだ

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 「造反有理」と「革命無罪」の間から、紅衛兵(どうし)たちの正体が透いて見える
 ごまかしの漆喰が次々に剥がれ落ち
 キミらの本質が剥き出しになり、正体が暴露される
 キミらの物差は権力と出世、それに快適生活

 だが僕は違う、僕の志は「魂の革命」
 僕の尺度は勇気と信頼、自己犠牲と誇り、それに鉄の規律
 1966年8月の天安門を経験した僕の記憶は
 今でも新鮮で、強烈で、神聖だ
 武闘、大混乱、爆発する社会、血の臭い、阿鼻叫喚の街・・・それが北京
 だが、少なくとも僕には誇りがあった
 「毛主席の子供」としての誇り、どこまでも光り輝く誇りがあった
 権力のために誇りを捨てた毛主席に、僕は「さよなら」を呟いた
 そして、そして僕は復讐を誓った
 権力に阿諛追従する奴隷根性の輩どもに

 毛沢東にまで「造反有理」を貫こうとした著者が紅衛兵仲間から孤立するのは時間の問題だったようだ。最終的には「ブルジョワ敵対者」「反動的好戦主義者」「陰謀を企む犯罪者」「反愛国主義者」と断罪され、「革命法廷」で禁固刑を言い渡される。「ここは悪漢どもの棲家/金きり声、命乞い、そして沈黙の息遣いが聞こえてくる」と、四人組を連想させる表現からして、収監されたのは政治犯を専門的に扱うといわれる秦城監獄だろうか。

「北京で不動産会社数社経営」と著者略歴。粒粒辛苦・商機一閃。喰えないヤツだ。《QED》