樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 679回】            一一・十二・初七

     ――社会主義革命・・・そんなもの知りませんヨ

     『遥晃的霊魂』(楊楊 学林出版社 2004年)


 40年ほど昔の留学時代、香港大学から香港島の中心街の中環に向かって西環の問屋街を歩いていると、前方によちよち歩きのおばあさんが。なんとはなしに足元に目をやると異様に小さい。ああ、これが纏足というものか。実際に纏足にお目にかかれた幸運に密かに快哉を叫ぶと同時に、心の中で「謝天謝地(天地に感謝)」と唱えながら後をついて行く。小さな路地に入った。もちろん追跡。しばらくすると、ヒョイッと小さな店に。ウインドーには、細かに刺繍された小さな布製の靴が並んでいる。纏足用の靴屋さん。どれもこれも色鮮やかで、なんとも不思議な空間だった。

 その昔、中国では「お前の足は船のようだ」といわれたら、女性はこのうえない屈辱を感じたそうだ。ところが、こんな話もある。明治を代表する女傑の1人に数えられる下田歌子に導かれるようにして、河原操子は蒙古の少女たちに日本語と日本を教えようと内蒙古のカラチンに向かう。経由地の上海の街角で、中国人少女たちが彼女の足元を羨望の眼で見入る。大きい――と言っても彼女の足は日本人としては普通サイズだろうが――自分の足で自由に飛び跳ねたい、というのが彼女たちのささやかな願望だったのだろう。

 20世紀初頭にの国に滞在したイギリス人女性が起こした纏足廃止運動をめぐる歴史を綴った『纏足の発見』(東田雅博 大修館書店 2004年)は、「中国に纏足という女性の足を人工的に小さくする風習があったことはよく知られている。その纏足が『三寸金蓮』などと呼ばれ、中国人男性にもてはやされたことも、あるいは知られているかもしれない。もちろん、現在の中国にはこのような風習はもうないのだが」と書き出されているが、じつは「現在の中国にはこのような風習はもうないの」ではなく、厳然と存在していることを教えてくれるのが「探訪中国最後的小脚部落」、つまり「中国最後の小脚(てんそく)部落を探訪する」との副題を持つこの本だ。

 300人を超える纏足の老女たちは、雲南省の省都である昆明から南に進んだ山峡のちっぽけな六一村にひっそりと暮らしている。600年ほど昔、南方からの蛮族の侵入を防ぐために築かれた堡塁が、この村のはじまりらしい。以来、余りにも人里離れた場所にあるため時代に取り残されたことが幸いし、長閑な桃源郷のような暮らしを営んできた。1910年、近くを鉄道が走るようになり織物産業が興る。男が耕し女が織る牧歌的で理想的な農村生活がはじまった。

 「雲南青年作家」を名乗る著者の母親も、この村の出身だ。40年代には、この僻村にも文明が押し寄せ「天足運動」と呼ばれる纏足反対運動の波が波及してきた。にもかかわらず彼女やその友人たちは密かに纏足になった。体が固まらない4、5歳前後に足を布で固く縛り上げる。強制的に小さいままの状態を保たせるため、体が成長するにしたがって筆舌に尽くしがたい苦痛に襲われるそうだ。

 建国を機に、「放足」して足を締め付けていた布を外すが、足は小さいまま。これを「解放脚」と呼ぶそうな。ところが再び纏足したり放足したりして現在に。この本には多くの写真が収録されているが、布を外した足の形状はじつにグロテスク。この足に美を感じる神経が判らない。数千年の歴史が涵養した審美眼には、醜もまた美と映るらしい。

 毛沢東も文革も改革・開放も、ましてや金満街道まっしぐらに狂奔する経済も知らぬ気に時を送る纏足の老女たち・・・流石に中国だ。ないものはない。ナンでもあり、です。《QED》