樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 680回】           一一・十ニ・初九

     ――「叔叔、求求你」


 拙稿を日本語のできる中国人や世界各地の華人の友人にも送信している。湖南省道県での文革大虐殺を綴る『血之神話』を扱った拙稿(678回)を読んだ1人から、「ある被害少年を悼む詩が秘かに読み継がれている」と送られてきた。彼が育った省でも道県と同じような虐殺があったらしい。

 建国前後の土地改革の際に怒れる貧農の手で祖父は撲殺され、文革がはじまるや父親は元地主の息子だからということで祖父と同じように惨殺され、恐怖と悲嘆の末に母親は川に身を投げた。頼る身寄りは祖母のみ。その祖母は地主の妻、そして少年は地主の孫だという理由で、村人が共同で掘った芋の貯蔵穴に生きたまま投げ捨てられたとのことだ。

 おじさん、お願いです。

 昔、お祖父さんが地主だったから、

 ボクを生きたまま埋めるんでしょ。

 だったら、お願いです。深く、深く埋めてください。

 もっと、もっと、もっと地中深くです。

 ボクはボクの体が野良犬に喰い千切られ、野原に曝されるのは嫌なんだ。


 おじさん、お願いです。

 両親を亡くしたボクを育ててくれるお祖母さんが地主の妻だったから、

 ボクは生きたまま埋められるんでしょ。

 だったら、お願いです、深く、深く埋めてください。

 もっと、もっと、もっと地中深くです。

 あのタネのように、

 深く、深く埋めてください。


 やがてボクは芽をだして、

 ゆっくり、ゆっくりと大きくなって、

 しとしとと降る春雨に、

 ひっそりと涙を流す花を咲かせるんです。


 おじさん、お願いです。

 農民を飼い殺し続けた地主の家系を根絶やしにし、

 農民の生血を吸って裕福な暮らを送ってきた地主への恨みを晴らすために、

 これが、地主の血が流れるボクに与えられた運命なんでしょ。

 だったらお願いです。

 もっと、もっと地中深く埋めてください。

 悲惨な運命を背負う中国の子どもは、ボクを最後にしてもらいたいから。

 この詩を目にした時、「人を食ったことのない子どもを救え」と訴えた魯迅の『狂人日記』の最後を思い出した。この少年も生きていれば50歳を少し過ぎた頃か。あるいは、あの時、あんな悲劇に襲われなければ、改革・開放の時代をガッチリがめつく生き抜き、大財産を築いていたかもしれない。もちろん、人を喰って、喰って、喰らい尽くして・・・。《QED》