樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 683回】            一一・十ニ・仲五

     ――バカも休み休みに願います・・・坂元一哉大阪大教授に

 産経新聞(12月10日)一面の「世界のかたち、日本のかたち」と題するコラムで、坂元教授は「戦後日本の礎を築いた吉田茂元首相」「は中国が日本など諸外国との貿易によって経済発展することが望ましいと考えていた」と示した後に、「だがその経済発展が中国の軍事力の急速な拡大とそれに基づく『高圧的』(防衛白書)な姿勢を生み出している。それをどう見るだろうか」と問い掛け、「『中国の興隆』の行方」を論じている。

 いまさら吉田でもなかろうが、吉田が生き返ったら先ずは「バカヤローッ」と怒鳴った後で、「時代が違う。国際環境が激変した。後は自分で考えろ」というだろう。

 坂元は「そんなことを考えたのは」「先月、ジュネーブのある研究所で開かれた国際セミナーで中国の某教授の話をきいたからである」と続ける。なんでもその教授は「出席者を相手に」して、「『中国の興隆』とよく言われるが18世紀に中国が世界経済に占めた地位に比べて、いまの中国の力は小さい。それなのに米国は大騒ぎして中国に対抗しようとしている。(中略)米国の力は衰退しているので、(米国の)大騒ぎも長続きはすまい」と啖呵を切ったとか。坂元は、「この教授は、中国の国際問題を論じる論客の中では穏健派の方だという。たしかに発言がとくに『高圧的』だったわけではない」と断ったうえで、「だが言葉の端々に、危うい傲慢さが感じられたのも事実だ」と付け加える。 

 かくして坂元は「私は、『中国の交流、米国の衰退』とよく言われるけれども、いまアジア太平洋地域で起こっているのは『中国の興隆』とそれを警戒する『米国諸同盟の興隆』ではないかと述べておいた」そうだ。そして最後を、「『中国の興隆』によって地域がおかしなことになっては困る。中国には『平和を維持し、冷静に国運の隆盛に専念』する姿勢をより明確に打ち出して欲しい」と、“冷静”に結んでみせる。

 だが、現在の中国が進める路線の根底に、1840年に勃発したアヘン戦争をキッカケにして列強が進めた中国に対する対応への怨念、つまり復仇の念があることを想えば、「中国の国際問題を論じる論客の中では穏健派の方」ですら、「18世紀に中国が世界経済に占めた地位に比べて、いまの中国の力は小さい」と国際会議の場で主張する心理が判ろうというものだ。思うに、彼らにとってアヘン戦争は有史以来の民族的屈辱であり、以来、彼らが歩んできたのは屈辱克服への道だった。1949年に天安門楼上から毛沢東が内外に向けて放った建国宣言に「これで、我が民族は他から侮蔑されなくなった」との一言を思い起こすがいい。あるいは90年代末に楊尚昆が口にしたと伝えられる「富強はいいことだ。弱くなったら外国からバカにされる」に、彼らの民族心理を読み取るべきだろう。

 毛沢東も、鄧小平も、江沢民も、胡錦濤も、習近平も、「中国の国際問題を論じる論客の中では穏健派の方」も、彼らが共有しているのは復仇と中華大帝国への復帰という宿望・悲願なのだ。だからこそ「18世紀に中国が世界経済に占めた地位に比べて、いまの中国の力は小さい」などと戯けた寝言を、「ジュネーブのある研究所で開かれた国際セミナー国際会議」の場で、しかも真顔で「言葉の端々に、危うい傲慢さ」を含ませながら口にするのだ。そんな彼らに「『平和を維持し、冷静に国運の隆盛に専念』する姿勢をより明確に打ち出して欲しい」などと“お願い”したところで、屁の役にも立たない。歴史を振り返って考えるに、「冷静に国運の隆盛に専念」した例があっただろうか。

 中国に「『平和を維持し、冷静に国運の隆盛に専念』する姿勢」を持たせるために、どのような国際的枠組みが可能なのか。いまこそ、智慧の限りを尽くして考えるべきだ。《QED》