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樋泉克夫教授コラム
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【知道中国 685回】 一一・十ニ・仲九
――問題は地方幹部の資質にあり・・・ですかね
『雲南知識青年上山下郷運動』(中共雲南省委党史研究室編 雲南大学出版社 2011年)
大躍進政策実施前年(1957)4月、共産党機関紙の『人民日報』が社説で「農業生産に従事することは、今後の小中学校卒業生の進路を導く主要な方向である」と主張したことによって、小中学校を卒業した都市の若者を農村に送り込み農業をさせる方向が定まったようだ。狙いは就職先の確保と農業増産だろう。
この運動は当初は下郷上山と呼ばれていたが、後に上山下郷と改められ、文革が始まって2年程が過ぎた時期から全国規模で活発化する。毛沢東は都市の若者を紅衛兵として暴れさせ、劉少奇が押さえる共産党の統治機構をブチ壊し、彼の権力基盤を切り崩すことを目指した。やがて毛沢東の勝利が明らかとなるが、一種の無政府情況のなかで1部の紅衛兵は批判・攻撃の矛先を毛沢東にまで向けはじめる。加えて暴力の楽しさを味わった彼らの存在が都市の混乱を激化させ事態収拾を遅らせる要因となる。かくして政敵潰しの手駒に過ぎない紅衛兵の一掃を狙い、毛沢東は「農村へ行って農民の許で、学校では学べない農業=労働の尊さを学べ」と上山下郷の大キャンペーンを展開し、都市の若者を黒龍江、ウイグル、雲南などの辺境僻地の不毛の地に送り込む。テイのいい棄民政策だった。
この本は雲南省各地における運動を詳細に綴った記録や関連資料を収めているだけでなく、編集は中共雲南省委党史研究室が担当。ということは、雲南省における上山下郷運動の公式記録と看做して間違いないだろう。だから凡て共産党当局にとって都合のいい内容だと思いきや、読み進むにしたがって公式記録の隙間から当時の運動の実態や運動を現地で指導した地方幹部のどうしようもない犯罪性が浮かび上がってくる。
たとえば現在50歳代後半の女性が記した回想の「知青年代的読書生活」によれば、雲南辺境の不毛の地での過酷な農作業に辛苦する彼女の「生活に情熱の火を点してくれた」のは、孔子や孟子の生涯を綴った本だった。当時は“毒草”と呼ばれ禁書扱いされていた本を読むのは政治的に危険極まりないことだったが、彼女は「『毛沢東選集』のビニール表紙だけを引き剥がして他の本に被せ、『毛沢東選集』を読んでいるように装った」。そうして禁書を読んでいたのは、彼女だけではあるまい。毛沢東万歳、いやマンザイ!
この本で最も興味深いのが、中共雲南省委員会党史研究室による「雲南打撃破壊知識青年上山下郷的犯罪活動」と題する報告だ。当時、雲南に上山下郷した青年に対する犯罪情況を綴っている。
雲南省では早くも「1970年以前、知識青年の上山下郷を破壊し、若い女性を陵辱し、縛り上げ痛打し斬殺する案件が日常的に発生していた」。「(1)一部が彼らを縛り痛打する。(2)職権を利用して自らの欲望を満たすために都市からやってきた若い女性を姦す。(3)劣悪な環境・扱いを上級組織に訴えようとする上訪行為を阻止する。(4)理由なく金銭を徴収し、食糧を徴発する」と地方幹部の犯罪を告発しているが、運動が本格化する70年代以降は幹部の犯罪はエスカレートし、遂には職権を利用して運動に参加する若い女性に結婚を逼り、騙して婚姻関係を結ばせ、あるいは強姦するといった「情況が極めて深刻化していった」。男性青年に対しては「法律を恣意的に乱用し」、「俺が党支部を代表して縛り上げる」と口にしながら暴行の限りを尽くした。まさに都市出身の青年男子は地方幹部の奴隷であり、女性は“慰みもの“でしかなかったようだ。知識青年という呼称が無惨に響く。だが地方幹部の体質は21世紀初頭も改まってはいないようだ・・・土豪は健在なり。《QED》
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