樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 694回】           一二・一・初二

     ――革命の意気は揚がり、人民の息も上がる・・・

     『群衆文芸節目選』(人民音楽出版社 1975年)


 この本には毛沢東への無条件の讃仰、共産党に対する絶対的信頼、朝鮮族の女性兵士が兵舎の空き地で野菜を栽培する日々や人民公社の女性民兵の夜間軍事訓練をテーマにした踊りなどが収められている。毛沢東の死まで残すところ1年。大多数の国民が文革にも飽き飽きしていた頃だろうが、この本に収められた“作品”は、悲惨なまでに元気で勇ましい。実態は、やけのヤンパチだったということだろうか。面白そうなモノを拾ってみると、

 巻頭に置かれた「共産党恩情長」は「山に樹はなく荒山に、川には水失せ砂地となった。共産党がなかったら、我らは生まれ変われなかった。共産党が救ってくれて、千年奴隷はお日様拝み、苦難の根っこを引っこ抜き、幸せの花、野に満ちる。工農聨合、力は強く、鉄の山河に鍛え抜く。山の松の根繋がって、各民族の心は1つ。固く結んで革命すれば、激しい風雨も恐くはないぞ。毛主席、革命の道、お導き、前途はいよいよ明るさを増す。共産党の恩情は、珠江にも似て無限に続く。滾々たる川、流れは尽きず、党の恩情永遠だ。河川の流れは大海に、万朶の花びら日に向かう。我らの紅い心は1つになって、毛主席に向かいます。紅い心は主席に向かい、永遠(とわ)に党につき従うぞ」

 毛主席を将軍サマに置き換えれば、現在の北朝鮮で唱っていたとしても決して不思議ではなく、どれもが現実を無視して突っ張るしか能のない三代世襲の北朝鮮の“作品”と感じられるほどに虚しく勇壮な形容詞を重ね、指導者や祖国を恥も外聞も無いほどに徹底してヨイショしているが、その典型例が「偉大なる祖国は陽光に満ちる」といえるだろう。

 「我らが社会主義の祖国は、燦燦と耀く陽光に満ち溢れる。団結の歌声はこだまし、勝利の紅旗は翻る。千山万水(そこくのだいち)は轟音を響かせ革命の奔流に注ぎ込み、江南北塞(そこくのはて)まで巨浪が逆巻く。我らが社会主義の祖国は、燦燦と耀く陽光に満ちている。見渡す限りに怒りの花が咲き、豊かな穀倉は限りなし。誰もが兵士となり鋼鉄の長城を築き、世界に向かって友誼の橋を架けるのだ。偉大な党は朝の精気に溢れ、偉大なる人民は奮闘して富強を目指す。偉大なる軍隊は常に備えを怠らず、偉大なる祖国は日々向上す。偉大なる領袖の毛主席は、われらの前進を導かれる。力強い歩みは社会主義の大道を闊歩する」

 訳していて恥ずかしい限りだが、なんともバカバカしくて笑いが込み上げて来るから不思議だ。そこで、「民兵は兵練に忙しい」を、

 「紅い太陽、東の空に、民兵、練武に忙しい。紅旗が先頭、歌声高く。1人1人が戦士となって、戦争準備の兵練だ。右手(めて)に鋤持ち、左手(ゆんで)は銃だ。紅い太陽、東の空に、民兵、練武に忙しい。兵士の『殺せ』の掛け声響き、刺刀(銃剣)荒波切り拓く。我らが練武は革命のため、時々刻々と戦場に、向かう準備を怠らず。紅い太陽、東の空に、民兵、練武に忙しい。毛主席に命を尽くし、体を張って党中央を。敵の侵略あったなら、断固殲滅してやるぞ!」

 当時の中国は、現在の北朝鮮の用語でいうなら「先軍政治」で「強盛大国」を目指していた。だが実態は軍におんぶに抱っこの「弱衰大国」に過ぎない。鉄砲から生まれた政権は鉄砲に頼り、鉄砲に食い散らされるようだ・・・この虚しさと可笑しさは何だろう。《QED》