樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 695回】            一ニ・一・初四

     ――自然科学を学んで自由は勝ち取れたのか

     『代数』『幾何』(《初等数学》編写組 上海人民出版社 1973年)

 この2冊は「知識青年の初等数学学習を手助けするために」、「互いに補完関係を持って使用される」(「編者的話」)べく、批林批孔運動の本格始動直前の時期に出版されている。失脚した林彪一派に代わる文革主流派として四人組が台頭していたが権力基盤は磐石というわけではなく、いわば権力の動揺期、あるいは空白期であったように思う。

 『代数』(全422頁)は代数の初歩知識である実数の定義からはじまり、代数式、方程式と不等式、指数と対数、三角比、三角常等式、初等函数、数列、複数まで、『幾何』(全328頁)も図形とは何かから始まり、三角形、三角形の辺と角度、円、直線と円、放物線・楕円・双曲線、極座標、座標変換と二次曲線まで、「初等数学」の基礎が懇切丁寧に記述され、そのうえ『代数』の前半を学んだ後に『幾何』の前半に移り、次に『代数』の後半を経て『幾何』の後半に及べば体系的・総合的に理解できるよう巧みな編集が施されている。

 数学の教科書とはいえ、文革時代を髣髴とさせる内容がないわけではない。たとえば一元二次方程式の例題に、「ある鋼管工場の労働者が革命精神を発揮し様々な困難を突破して革新的な変形シームレスパイプの開発に成功し、我が国の電機工業に大いに貢献した。鋼管の横断面は32cm×16cmでパイプの肉厚は同じ。切断面の面積を260平方㎝とした場合、肉厚を求めよ」とある。そこで解答は、求めるパイプの肉厚をxcmとし、(32-x)(16-x)=260なる方程式を導きxを求めよ、ということになる。

 加えるに、所々にゴチック活字で目立つように毛沢東の著作から「人類における認識運動は個々の事例、特殊事例から出発し、認識そのものを拡大して一般的事物の認識に到達する」「客観的に現実世界の変化運動は永遠に完結することはなく、人類が実践活動において真理を認識することもまた永遠に完結することはない」などの言葉が引用されているが、どう考えても、数学的思考を敷衍し直接的に解説しているわけでもなさそうだ。教科書としては、むしろ学習者を混乱させかねない。あるいは編者は毛沢東やマルクス、エンゲルス、それにレーニンの著作から数学と関係がありそうにみえる片言隻語を引用することで、自らの政治的意図・思想的立場を隠し、巧みに文革礼賛を装っている風にも思える。

 文革は「専より紅」という毛沢東の考えを強く打ち出す。「専(=専門知識・技術)」を持つ知識人を否定し、「紅」つまり過激な政治意識を持つ狂信的な毛沢東思想信者を求めた。かくして専門知識・技術を持つ知識人は社会にとっては有害無益とされ、社会的に冷遇された。であればこそ、この2冊は、そんな時代に「異」を唱えようとしたのではないか。

 じつは時代が時代であるだけに、当時出版された書籍の例に倣って、この2冊も共に巻頭に「毛主席語録」を掲げているが、双方共が「自然科学は人々が自由を勝ち取るための武備である。人々は社会おける自由を獲得するために、社会科学を学び社会を理解し、社会を改造し社会革命を進める。人々は自然界において自由を得るために、自然科学に基づいて自然を理解し、自然を克服し改造し、自然界から自由を獲得する」で共通する。

 想像を逞しくするなら、この2冊の本格的な数学概説書は「自由を勝ち取るための武備」として出版されたとも考えられる。ここでいう「自由」が毛沢東に反対する思想の自由を意味していたのなら、毛沢東を掲げて毛沢東に反対したということだろうが・・・。《QED》