樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 699回】           一ニ・一・十

     ――明日は明日の風を吹かせる・・・しなかいな

     『文化大革命を生き抜いた紅衛兵世代』(葛慧芬 明石書店 1999年)

 巻末の「著者紹介」には1955年の江蘇省生まれ。82年に寧夏大学を卒業し86年に来日し、東洋大学大学院を経て金沢学院短期大学講師とある。文革開始時が11歳で、毛沢東が死んだ当時は21歳、鄧小平の豪腕によって中国が改革・開放に舵を切った年は23、4歳。まさに中国の激動の時代の申し子世代といえる著者だが、対外開放の恩恵を受けて日本留学を果たし、中国では何かと制限のある文革研究に取り組んだ。それゆえに、文革研究における学術書であるこの本の行間からは、著者世代が過ごした理不尽な政治の時代に対する悔恨の情を強く感ずるのだが・・・。

 「その人生、人間形成と社会変動との関係を探る」との副題を掲げているように、この本は激烈なる社会変動をもたらした「文化大革命を生き抜いた紅衛兵世代」の文革期間中の生活史、「上山下郷」運動に導かれ農山村での過酷な労働を経た後の社会復帰(著者は①大学入学、②軍隊入隊、③企業採用、④都市帰還、⑤現地での結婚、⑥そもそも上山下郷未体験の各パターン別に分析)、彼らの文革に対する回顧・反省、文革という社会変動が紅衛兵世代のその後の人生に与えた影響などについて詳細に論じているが、やはり注目したいのは紅衛兵世代が過ごしてきた教育環境であり、文革が彼らに与えた影響だろう。

 著者によれば、「文革前の学校教育体系における思想教育と価値観教育は、感受性の強い少年期にあった文革世代の政治的態度および人生観と価値観の、基礎的な型を整え、その形勢にきわめて大きな影響を与えたのである」とのこと。具体的には「『革命事業の忠誠な後継者を育てる』のが重要な役割と課せられ」たがゆえに、「共産主義への信仰という理念が植えつけられ」、さらに「階級的立場を固め、人民の敵に対して冷酷非情な態度をとるべきだということがいつも教えられ、要求されていた」のである。

 であればこそ毛沢東のお墨付きをえた彼らが、毛沢東の敵に対し「冷酷非情な態度」で臨んだとしても何の不思議もなかった。だが毛沢東の勝利が確定するや、毛沢東は「農民に学べ」の美しいスローガンを掲げ、「冷酷非情な態度」をもって彼らに臨んだ。都市からの追放である。かくして彼らは、社会主義革命は農村を豊かにしてはいないばかりか、極貧状態に止めておいたという厳しい現実を知ると共に、「『上山下郷』の期間で下放地の農民とほとんど変わらない貧しい生活を送っていたのだ」。党幹部子弟は過酷な「上山下郷」を逃れ、「主に軍隊幹部の子弟は」「大量の内部徴兵」によって「軍隊で進路をみつけ、『上山下郷』をのがれた」。全人民の平等を理念として掲げる共産党独裁の現実を知らされる。

 著者は文革を経ることによって紅衛兵世代は、①「中国のこれからの改革・開放の新たな推進を支える最も重要な人口集団である」。②「中国のこれからの近代化達成に最も重要な要件――安定した政治局面の維持――に大きな促進機能を持っている」。③「改革・開放が中国社会にもたらした最も大きな副作用といえる社会的道徳水準の失墜と犯罪の激増という社会問題を解決する」うえで、「社会的道徳秩序の回復と再建に促進機能を持っていると考えられる」と結論づけている。だが、この考えは余りにも理想に過ぎるだろう。

 金満中国における昨今の情況をみせつけられるにつけ、彼らが「社会的道徳秩序の回復と再建に促進機能を持っている」とは思えない。なぜなら彼らこそ、「社会的道徳水準の失墜と犯罪の激増」という文革を激烈に生き抜いたのだから。やはり三つ子の魂か・・・。《QED》