樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 708回】            一ニ・一・念七

    ――権力の厚化粧、猫なで声の悪魔の囁き・・・

    『Chinese Posters』(秋山孝 朝日新聞出版 2008年)

 建国以来、共産党政権は自らが掲げる政策を人民に判り易く周知徹底させるため、京劇や地方劇、相声(おわらい)や説書(かたりもの)などの大衆芸能を巧妙に使った。今でいうソフト・パワーである。イラストレーション・ポスターも、そうした政治的仕掛けの1つだ。この本に収められた建国直後から08年の四川地震支援を呼び掛けるポスターまでを眺めていると、共産党政権が人民にどんな振る舞いを求め、何処に導こうとしていたのかが判然としてくる。その意味で言うなら、国際的に評価の高いポスター・デザイナーで多摩美術大学教授の著者が引用している中国人女性作家の「一枚の絵は千の言葉より多くを語る。その言葉に耳をかたむけようではないか」という呟きは、確かに頷ける。

 そこでモノは試し、である。ならば、「その言葉に耳をかたむけようではないか」。

 たとえば1951年に制作されたポスターだ。80cm×55cmほどの大きさで、紙面の上部3分の2強の部分に描かれた屈強な2人の兵士は右手に銃を、左手に分厚い本――左側のソ連兵が『蘇聯人民愛国戦争史』を、右側の人民解放軍兵士が『中国人民解放戦争史』を持つ。共に頁が開かれていて、一方には「ソ連軍は第二次世界大戦中、ドイツ・日本のファシスト及び追従国の軍隊1千2百万人を殲滅」、もう一方には「中国人民解放軍は1946年から50年までに、アメリカ帝国主義の支援で装備された蒋介石反動軍隊8百万人を殲滅」とあり、それぞれ12,000,000と8,000,000の数字が真っ赤に記されている。見る者に与えるインパクトは、確かに強烈だ。

 2人の兵士の怒りの目線と銃口が向けられた先には、「来年には3百万軍隊の動員を」と囁き合っている鷲鼻のアメリカ人が4人。中央の人物は$とカギ十字が記されたウス汚れたボロボロの旗を振り、左隣の人物はチッポケな原子爆弾と化学兵器を手にする。米軍司令官と思しき軍服の人物はブザマにも包帯姿だ。この4人は薄い青一色で弱々しさを強調して描いてあり、真っ赤な色を背景に眦を決した鮮やかな黄色の軍服の兵士が醸し出す屈強さとは余りにも対照的だ。ポスターの最下段には「アメリカの侵略者は必ず敗れる」と7文字が記されている。使われている活字は全て繁体字とも呼ばれる漢字正字で、当時は、現行の簡体字はまだ使われてはいないかったことが判る。

 このポスターが、《赫々たる戦歴を持つ中ソ両国軍が協力して戦っているゆえに、アメリカ帝国主義を必ずや打ち破り朝鮮戦争は勝利する》というメッセージを全人民に植えつけようとしていることは明白だろう。だが、スターリンは自らのソ連軍を一兵も動かすことなく、毛沢東を唆して中国軍を参戦させただけ。つまり、《無敵の中ソ両国軍が協力して正義の為に戦っている》という偽メッセージで人民を煽ろうとしたことになる。

 この本が収めたポスターを、後に判明する共産党政治の“真相”と重ね合わせるなら、共産党が自らの正当性を人民に納得させようと手練手管を駆使していた様子が見て取れる。

 ここで興味深いのがポスターに描かれた女性像だ。文革期のそれは日焼けした真ん丸な顔に太い眉と怒りに満ちた目。きりっと閉じられた分厚い唇。丸太のように太い腕。これに対し現在の女性は、白い肌の小顔。パッチリと開かれた柔和な目。ウエーブのかかった長い黒髪。口紅も鮮やかな小さな唇。豊満な胸に細くくびれた腰に細い腕。

 かつて共産党が理想として描いた男と同じく戦い働く頼もしい女性は消え去り、いまや楚々たる美形に大変身である。だが油断は禁物。新式のハニー・トラップ・・・かも。《QED》