樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 709回】            一ニ・一・念九

    ――全民啼餓号寒、5500万人死於飢餓!

    『大躍進・苦日子 上書集』(余習広主編 時代潮流出版 2005年)

 この本は「中国大陸は、1957年末から62年年末まで、人類の良識では受け入れ難い、人類史上このうえないほどに恥ずべき時代だった」と説き、毛沢東が強行し、当時の共産党幹部の多くが唯々諾々と追随した大躍進がもたらした惨状を、明らかにしようとする。

 「苦日子(苦難の日々)」に在った当時の人民は、自らの苦しく惨めな情況を毛沢東をはじめとする共産党幹部に訴えるべく「上書」した。つまり直訴だ。500頁を超えるこの本に、全国各地から毛沢東らに寄せられた29通の上書が収められている。その全てが「人類史上このうえないほどに恥ずべき」ことだったのではなく、漢民族が人類の歴史に刻んだ「これ以上ないほどに恥ずべき」蛮行であったことを証言する。

 その一例を、湖南省西北の稔り豊かな澧県の人民公社社員(農民)が書いた「幹部問題について中共中央領導(指導部)に上(たてまつ)る書(書簡)」にみておきたい。

 59年夏の共産党中央拡大政治局会議で一部幹部が大躍進政策への疑問を提起するや、「これは反革命の綱領だ」と毛沢東は猛り狂う。大部分の幹部は毛の怒りの凄まじさに恐れ戦き口を噤み盲従し、「反右傾」「更なる大躍進」という新たな運動を全国展開した。

 かくて澧県の幹部(多くは北方の他省出身者)は実現不可能なほどの増産目標を設定し、農民を殴りつけて過酷な労働に駆り立てた。ある幹部は「農民を殴っても構わん。ただし鼻、顔、耳は除いて」と嘯く。目標達成のため(以下、敢えて訳さないので、どんな拷問なのか想像願いたし)「謾罵、揪頭髪、址耳朶、梱綁、罰跪、冬天溌冷水、毒打、綁吊、灌尿、灌屎、灌辣椒水、皮帯抽、背磨盤・・・」で農民を責め苛んだ。だが農民が抵抗・反抗すると、「徹底して痛めつける悪辣な40数種類」の拷問が待っていた。極く一部を挙げると、「喫屎喝尿、針穿嘴巴、棍穿陰部、坐水牢、火焼、叫女赤身裸体、男女互咬生殖器、推排球、抜胡子、脖子上掛屎桶、跪砕瓦、喫牛屎、堆羅漢」など。これ以外、我がパソコンでは変換不能な漢字を多用した方法も、この本には数多く挙げられている。

 手加減なし。だから犠牲者が続出する。だが幹部は、「遺族による遺体収容、慰霊、棺購入を許さず(これを「三不准」と呼ぶ)、甚だしい場合には遺族に笑うことすら強要した」。じつは全国農民を共産党支持に向かわせたかつての土地改革において、極めて多くの「ゴロツキ無産者」や「不純分子」が共産党の手足となって積極的に立ち回り地主から土地を取り上げ、貧農に分配した。建国後、彼らは論功行賞として農村の基層幹部に納まり、「民衆の死活問題を考えることなく、共産党の名前を掲げ、国民党とまったく同じ働きをしている」。そこで「幹部は悪魔のようであり、我が澧県は地獄と化した」と告発する。

 ところが、この上書が告発している農民に対する数々の過酷な措置がかつて地主が農民に強いたものと殆んど同じなのだ。地主が農民に直接手を下していたとは考え難い。ならば、農層基層幹部に納まっているかつての「ゴロツキ無産者」や「不純分子」が地主の“番犬”となっていたということだろう。いいかえるなら地主に飼われていた「ゴロツキ無産者」や「不純分子」が土地改革を機に共産党の積極分子に変身し、やがて人民公社の基層幹部に納まり、大躍進⇒反右傾⇒更なる大躍進と運動が過激化するに応じて再び農民を責苛む。昔取った杵柄、なのだ。その基層幹部の大親分こそ毛沢東や共産党幹部と考える。

 ならば、親分に向かって子分の悪行狼藉を訴えたところで藪蛇というものだろう。一つ穴の狢だ。親分・子分の相互依存の関係は、21世紀の現在も継続しているようだ。《QED》