樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 710回】             一ニ・二・初八

     ――為金銭服務、自利更昇・・・万々歳

     『天安門落書』(串田久治 講談社現代新書 1990年)

 著者は「一九八七年の九月から、一九八九年六月六日着の身着のままの帰国までの約二年間、中国古代・中世思想史を研究する目的で北京にいた。その二年間、私は書物から得るものよりも、むしろ生活を通して中国を知ることの方が多かった。(中略)ことに一九八九年四月以降の民主化運動は、私には得難い体験であった」と説き、天安門事件に繋がる「民主化運動の高揚した二ヵ月に見聞きした中国人の言葉に対するセンスに感服し」た。

 また著者は「古来、中国では軽佻浮薄を演ずることで、自分の考えや行動に自信満々の輩をからかい、権威主義的な社会の風潮を揶揄し、そしてその仮面を剥ごうという風潮があ」り、「また、軽々しく立ち入ることを許されない権力機構、あるいは批判はタブーとされてきた王朝を標的にし、その不当を告発しようとすることも希ではなかった」。「だが、普通の人々は、危険はあっても生命の危険までには至らない反抗や反逆を好む。もろもろの不平や不満、わだかまりを発散し一掃してくれるもの、誰にでもできる反抗や反逆、しかも責任の所在不明のパロディーやブラックユーモア、これらは中国の歴史に事欠かない」と語り、「この伝統が」「四月以降の民主化運動」に「今なお日常的に息づいていることに」、「改めて思い知らされ」たという。

 いわばこの本は、著者が1989年の民主化運動に燃える北京を走り回って集めた「所在不明のパロディーやブラックユーモア」ということになる。そこで、いくつか実例を(なお、訳と説明は小生が)、

■「行行好 給点民主吧!」=どうか、何卒、民主の欠片でもお恵みを!

■「政府不仁 人民不怕」=政府は人でなし、だけど人民は恐れない。

■「病理診断官癌晩期 広範転移」=診断したらば「官癌」末期、全身転移です。(ここで些か説明を。幹部が特権を振り回してブローカー稼業に励むことを「官倒」ということから、「官癌」とは、官倒の弊害に蝕まれている状態を指す)

■「毛沢東的児子上前線 周恩来的児子拚命幹 趙紫陽児子倒彩電 鄧小平児子搞募捐」=毛沢東の息子は朝鮮戦争の前線へ、周恩来の息子は命懸け、趙紫陽の息子はカラーテレビの横流し、鄧小平の息子は義捐金でガッポリ。(ここで些か説明を。毛沢東長男の毛岸英が朝鮮戦争で不慮の死を遂げずに赫々たる軍功を引っ提げて凱旋していたなら、あるいは毛王朝二世皇帝に就いていたかもしれない。「周恩来の息子」とは李鵬のこと。両親が革命家であった李鵬少年は3歳で周恩来夫婦に引き取られるまで筆舌に尽くしがたい苦労をしたのである。趙紫陽と鄧小平の息子は親の権威でカネ儲け)

■「李鵬不跳楼 我們天天游 李鵬不上吊 我們不睡覚」=李鵬が身投げしないなら、毎日デモだ。李鵬が首を括らないなら、我らは眠れない。

■「大官国外游 小官国内游 工人車間幹」=高級幹部は外国に遊び、下っ端幹部は国内旅行。そして労働者は職場で日がない一日汗水垂らす。

 確かに多くの“作品”が権力の強欲さを小気味よく暴いてはいる。だが、それらが「もろもろの不平や不満、わだかまりを発散し一掃」するだけに終わっていることころに中国社会の病巣があるはずだ。落書であるかぎり幹部、いや蛙の面に小便なんです。《QED》