樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 713回】             一二・ニ・仲四

    ――波乱万丈、驚愕至極、生々流転、有為転変

    『革命中国からの逃走』(S・マンジョ つげ書房新社 2011年)


 「ロプサンを知ることは、それ自体が、ちょっとした冒険だった。一九六三年、ヒマラヤの王国ブータンで、ひとりの背の高い快活な人物を指さして、その男が、共産中国によるチベット制圧とダライ・ラマのラサ脱出の後、チベットから逃れてきた中国人技師だとわたしに教えてくれた者がいた」ことがキッカケで、著者はロプサンの紆余曲折の人生に興味を持ち、この本を書き上げる。英語原書名は『The Adventures of A Manchurian The story of Lobsang Thondup』。じつはロプサンは中国人ではなく満州人だった。

 1925年に大連の裕福な実業家の家に生まれ、東京大学機械工学科に学び、「一九四〇~四三年、彼は日本の首都にある学生寮で暮らし、日本人学生と一緒に生活した」後、「シベリアでロシア軍の捕虜として二年間を過ごした日本陸軍航空隊の中尉だったり、毛沢東が創設した最初の戦車部隊の隊長だったり、チベット人が仏の化身と崇め祭った女性の愛人だったり、ラサでは一流の機械技師として慕われたかと思うとその一年後にはゲリラの土地をさまよいながら逃亡する文無しなっていたり、そしてついには、ブータン国王のお気に入りとなった後、鼠がはびこる地下牢で鉄のカセをはめられていた囚人だった」。

 事実は小説よりも奇なりというが、こんな人生は劇画のゴルゴ13ことデユーク東郷であろうと歩めるものではないはずだ。

 「生まれ故郷である満洲を離れて中国、朝鮮、シベリア、新疆、チベットを越えて、ついにはインド、ブータン、ネパールへとたどり着くことになる」ロプサンは、拡大してゆく共産党勢力圏の最前線の、ほんの一歩先を綱渡りのように歩いていた。つまり49年の中華人民共和国成立前後からの「二十五年のあいだに中国とその周辺地域を変えていった動乱」の渦中に身を置いていたのだ。中国、新疆、チベット、そしてブータンでも。彼は行く先々で共産党の巧みで非情な人心収攬・権力掌握のカラクリを体験する。その典型は、共産党が全国規模で積極・非情、そして果敢に推し進めた土地改革だろう。

 共産党は国民の圧倒的多数を占める農民を焚き付けて地主を責め苛む。事前に「必ずその人の経歴を調べて(地主に対し)個人的恨みを持っている者を」探す。次に村落の土地廟(氏神様)の広場に農民を集め、真ん中に縛り上げた地主を立たせる。地主に恨みを持つ人物が登場し、「自分の家族が被った苦労や不正を追及し、群衆の誰かが『ぶん殴ってやれ』と声をあげるまで、非難するという責務を負う」。やがて牛馬のような扱いをうけたと訴える農民が次々に登場し、地主に悪口雑言を浴びせかける。誰か1人――当然、予め決められている――が項垂れるしかない地主に殴り掛かるのを合図に、激昂した農民が殺到し地主は殴り殺される。没収された土地は地元の農民の間で分配される。だが「独自の証書を発行」する共産軍の将校は「さあ、土地はお前たちのものだ」と口にするが、「外敵から土地を守るのはお前たちの義務だぞ。息子が三人いる者は、ひとりはその土地で働かせ、残り二人は人民解放軍に入れて、われわれと共に闘うのだ」と。「こうして、(中略)、共産党は満洲の田舎をこっそりと、しかし容赦なくその手中に納めていった」のである。

 チベットで権力を握るまでの共産党の手順、振る舞いも実に巧妙・非情・冷血だった。

 ロプサンが存命なら一度会ってみたいもの。それにしても世間は広い。実に広い。《QED》