樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 715回】             一ニ・二・二〇

     ――木を見て森を見ず・・・ということでしょうね

     『中国返還後の香港』(倉田徹 名古屋大学出版会 2009年)


 返還から15年目に当たる今年3月、北京が香港の経済・教育・宗教界などから指名した1200人で構成された「広範な代表性を備えた選挙委員会」によって、中華人民共和国特別行政区政府トップの長官選挙が行われる。97年の返還前後には異常なまでの盛り上がりをみせた日本メディアの香港報道だったが、3月の選挙で北京の香港支配がほぼ“定式化”されるというのに、行政長官選挙への関心は余りにも低いように見受けられる。

 目下の候補者は2人。1人は浙江財閥の流れを組む元大企業経営者。残る1人も返還前後から一貫して政治の中枢を歩いてきた超エリートで、彼が精力的に進めてきた政治が北京ペースであったことはいうまでもない。前者が愛国民族資本家の御曹司なら、後者は香港の土地政策にも大きな影響力を揮ってきた。共に60歳代前後で北京が認める「愛国港人」。どちらが当選するにせよ、香港は北京の敷いた路線から外れることは不可能だろう。

 返還前、北京は内外に向かって「50年不変」「繁栄の維持」を口にし、返還は「香港の死」「繁栄の終焉」「民主の崩壊」に直結するとの欧米からの批判に対抗した。以来、北京は当時の口約を果たそうと、香港に経済的な恩典・優遇策を与え続ける。

 この本で著者は、「一国両制」が返還以降の香港でどのように運用されたかを「解読」しようと試みた。いわば中英両政府による返還交渉の際、「死ぬまでに一回でもいいから祖国に戻った香港の土を踏みたい」と願っていたとも伝えられた当時の最高実力者・鄧小平が考案したとされる「一国両制」が、特別行政区となった香港においてどのように運用され、北京(中央政府)と香港(地方政府)の関係を調整し、香港住民の生活を支えようとしているのかを、「利用可能な公式の資料は非常に乏しい」と嘆きながらも、努力して収集した資料を基に論じた。その努力は評価するが、著者は肝心な、最も重要な点を忘れている。中英両政府に香港企業家という香港に最も深く関わってきた3者にとっての利害打算と国際政治を厳然として律している力の支配という視点だ。

 やはり、3者にとっての香港は「金の卵を産む鶏」でしかない。返還交渉とは繁栄する香港を、中国は“居抜き”で引き取ることを狙い、英国は高値で“売り抜く”ことを画策した別の表現であり、全く異なった思惑を持つ両政府がどう妥協するか。交渉の最大の眼目は「双贏(win-win)」の関係をどう築くのか、であった。もちろん香港企業家にしても、香港の繁栄維持は至上命題である。著者は返還後の「民主」の動向を論じようとするが、北京にせよ香港を支えている企業家にせよ、唯一最大の関心は香港という鶏に“金の卵を産み続けさせること”でしかないだろう。有態にいって、民主への関心は極端に低い。

 明治・大正・昭和を代表するジャーナリストの長谷川如是閑は明治末年の英国取材からの帰途に立ち寄った香港で、植民地化した方法は正しくないが、「何しろ衡の一方が飛び上がって一方が地に着いている始末だから、両者の間の平衡は強者の意思に代わって維持せられる」と呟いた(『倫敦! 倫敦?』岩波文庫 1996年)。清朝を力で圧倒した英国が香港に対する生殺与奪の件を握ることは、国際政治の趨勢からして当時の現実だったわけだ。あれから1世紀ほどが過ぎた現在、「衡」は逆向きになってしまった。いま、香港を覆っているこの現実を考えない限り、「中国返還後の香港」を解き明かすことはできそうにない。

 香港問題は今後の両岸関係を推測する重要な手懸りである。あればこそ日本は、この地域の国際政治の「平衡」を保とうとする「強者の意思」に怯んではいられないはずだ。《QED》