樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 716回】               一ニ・二・念二

      ――地主の末裔は泪の裡に一生を送る

      『最後的地主(上下)』(廖亦武 労改基金会 2008年)


 毛沢東の死後、共産党は過去に政治・思想犯と断罪した多くの人々の名誉回復を進め、内外に向けて“脱毛化”を印象づけるべく振る舞ってきた。だが土地改革で過酷な運命に晒される羽目に陥った「地主の場合は違う。地主は刑期満了で釈放された前科者のようだ」と、この本は冒頭に掲げる。「名誉回復など未来永劫にありえない。彼らが刻んだ歴史に手を触れることは許されない。彼らに抗弁の機会は与えられない。それゆえ辛くも生き残った地主は沈黙を守るしかなく、彼らの子孫もまた、そうすることを身につけてきた」と綴り、土地改革で人生を狂わされてしまった地主の家族が歩んだ過酷な人生を赤裸々に綴る。

 著者は、社会の片隅で息を潜めて日々を送るしかなかった元地主の家族を尋ね雲南省の山間僻地を歩き、彼らの身の回りで起きた悲劇から土地改革の実態を探ろうとした。

 ――あの公開地主糾弾大会の日、近郷の7,8人の地主が射殺され、そのなかに夫と兄がおりました。民兵に雁字搦めに縛られ、大会会場に程近い川原に引きずり出され、階級の敵という判決を受けた後、罪状を記した木の札を背中に挿され、足まで縛られ、口にはボロ雑巾を押し込まれ、民兵の2メートルほど前に座らされました。背中から札が抜かれると、銃口が胸にピタリとつけられる。バン、バンと銃声が。体が大きな兄は倒れませんでした。すると兄の背中の側に立っていた民兵がグチャグチャになってしまった兄の胸にもう1発。血しぶきが民兵の肩に凄まじい勢いで飛び散ると、彼は兄を蹴倒したのです。肩に掛かった血を拭きながら、彼は口汚く罵り、一歩前に進み出て兄の死体に向けて、また引き金を引いたのです。兄の体は夫の横に転がり、まるで2人の死体は顔をくっつけて寝ながらヒソヒソ話をしているように見えました。

 2人が処刑される一部始終を見るように、私は2人の民兵に両脇から抱えられ、髪の毛を引っ張られ、頭を下げることを許されませんでした。目を硬く閉じようとすると周りから罵られ、両の瞼が無理やりこじ開けられ、目から血が噴出しました――

 以上が、地主だった夫と兄を土地改革で失った84歳の老婆が語った一部だ。処刑後、2人の死体から舌が切り取られ共産党軍幹部のための薬材にされたそうだ。処刑を見た数千の群集は「地主階級打倒」「土地改革勝利万歳」「中国共産党万歳」「毛主席万歳」と歓呼し、子供までもが死体に石を投げつけ、死体を切り刻んで歓声を挙げた。このままでは殺されると感じた10代後半の長男は山に逃げ込み、穴を掘って野獣のような生活を送らざるをえなかった。ところが2年程の後、民兵に発見され労働改造所にブチ込まれてしまう。

 地主の夫人であることから「地主婆」と蔑まされた彼女は、その後、政治闘争が起こる毎に糾弾集会に引き出され、ありもしない罪の自白を強要され、暴力を振るわれた。子供たちは教育の機会すら奪われ、無学なままの人生を強いられる。彼らにも人権はなかった。

 彼女は、まるで呪文を唱えるかのように呟く。「悪夢だ、悪夢だ」と。

 この本は地主家族が嘗めざるをえなかった非人間的な人生を通して、土地改革の悲惨、残酷、醜悪だった側面を浮かび上がらせ告発する。同時に、「『打土豪、分田地(土豪を打倒し、土地を分かとう)』から半世紀後、農民という階級はかつて『土地革命』が爆発した当時とほぼ同じ情況にまで零落している」と警告を発することも忘れてはいない。《QED》