樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 719回】             一ニ・二・念九

    ――烏坎村、呉英、王立軍・・・「和諧社会」の終焉を前にして


 2012年も、もう2ヶ月が過ぎてしまう。この間、派手な外交デビューが伝えられる習近平に較べ胡錦濤の出番が少ないようだが、水面下で引退後を画策しているのか。まあ立ち去る権力者について四の五の口を挟んでも致し方がないが、やはり胡政権の10年間を振り返ってみる必要があるだろう。とどのつまり胡政権が掲げた「和諧(融和・調和)社会」は実現できたのか。実現の緒に就いたのか。それとも単なる掛け声に終わったのか、と。

 そこで、広東省の海沿いに位置する農村の烏坎村で起きた農民による異議申し立て事件、浙江省東陽の女性企業家・呉英に対する死刑判決、それに重慶で黒社会討伐に辣腕を発揮していたはずの王立軍によるアメリカ領事館駆け込み24時間篭城――に注目してみたい。

 烏坎村での出来事の概要を綴ると、昨年初秋のこと、村の幹部が土地を秘かに業者に売却し暴利を貪っていることに反発した数千の農民が抗議行動を起こした。幹部と結託する公安当局は運動指導者格の農民を逮捕の末に謀殺。千人を超える武装警察が村を封鎖し、情報を遮断した。12月末、上級機関の広東省党委員会が調停に動き、1月半ばには村党支部書記に農民側リーダーが当選。2月に入って村民1人1票の選挙が行われ109人の村民代表が選ばれると共に、2月16日には昨年末に謀殺された農民の遺体が遺族に返された。

 だが問題は何ら解決してはいない。村民代表の中には、①前任幹部が不正売却した土地を取り返すこと。②農民謀殺の責任の所在を明らかにすること――を掲げ、「問題が解決しないなら、再び戦いの銅鑼の音が鳴り響く」と決意を口にする者もいるようだ。かりに当局が“謝罪”し土地を農民に返却した場合、全国各地の農村で同じように幹部によって不当に土地を巻き上げられ売り飛ばされた農民が一斉に決起しかねない。ならば農村末端から北京中央までの一貫した鉄の支配によって成り立っている共産党の権力基盤は動揺をきたし、一党独裁による秩序は崩壊の危機に直面するはずだ。であればこそ烏坎村で起きている農民による素朴な生活権防衛運動(一種の「民主化運動」)を共産党が素直に認めるとは思えない。それは「民主派」の行動を「安定と秩序に対する挑戦」「暴乱」と看做し、戦車で圧殺した89年6月の天安門事件を振り返るまでもないだろう。

 「中国で最も若い女性富豪」と称賛されていた呉英が死刑の判決を受けたのは1月18日だった。彼女が犯したとされる出資詐欺など現在の中国では日常茶飯事であり、死刑に値するほどの罪ではないと思うが、じつは被害者のなかに浙江省の元司法関係者が少なくなかったらしい。そこで彼らが後輩の現役司法当局に圧力を掛けた。いわば裁判に名を借りた復讐であり、私怨晴らしでのリンチであり、法治にはほど遠い。まさに人治の典型だ。

 副市長として重慶の治安部門を統括していた王立軍が2月初旬に引き起こした騒動の真相が明らかになることはないはず。「精神障害」を口実に事件の幕は強引に引かれてしまうようだ。重慶トップの薄熙来と王の組み合わせは、まるで毛沢東と林彪の関係を思い起こさせる。文革で毛沢東に対し忠勤に励んだ林彪が最終的に不可解な死を遂げざるをえなかったように、王もまた薄の権力基盤強化に大きな働きをしながら、胡錦濤対習近平の党中枢の権力闘争の狭間で失脚してしまった。王にせよ林彪にせよ、“悲惨で皮肉”な末路の背景に隠微で激越で冷酷な権力闘争を日常とする共産党の体質があることは否めないはず。

 農民の犠牲、人治、性懲りもない権力闘争――これが和諧社会を目指した胡政権の10年が到達した掛け値なしの結末であり、次期政権が避けては通れない現実なのだ。かりに習政権が10年の任期を全うしたとして、2022年の中国は極楽、地獄、はた煉獄・・・。《QED》