樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 725回】            一ニ・三・仲三

    ――李白は酒を浴びるほど呑んでも反権力の人だった・・・らしい

   『李白詩選』(復旦大学中文系古典文学教研組選注 人民文学出版社 1977年)


 自らを「酒中仙」と呼び、「李白一斗詩百篇」ともいわれた唐代の李白は、一斗の酒を呑むうちに百篇の詩を詠出したそうだ。一斗の酒も凄いが、百篇の詩作にも恐れ入るばかり。若い頃は任侠の道を歩んだらしい。任侠といってもヤクザの世界ではなく、おそらく義侠心に富んだ日々を送ったということだろう。日夜豪飲し、金銭を軽んじ他人に施すことを好んだ。ある時、仙術を修めた道士に従って都の長安へ行き、玄宗皇帝を讃える文章を奉ずるや大いに気に入られ、皇帝から学術面における側近として遇された。

 皇帝の周辺に在っても豪放磊落な振る舞いに変わりなく、皇帝周辺から嫌われ、遂には皇帝の許を辞し全土を逍遥し名勝に遊ぶ。戦乱に巻き込まれ流罪になったものの、恩赦を機に再び官に召されたが卒す。62歳だった。酔って水中の月を捉まえようとして溺れ死んだとも伝えられている。一斗を呑む酒中仙に相応しい最期だが、後の記録などから判断して俄かには信じられそうにない。

 この本には、そんな李白の代表的な詩が彼の歩んだ人生と時代情況に沿って集められ、詳細な注釈が施されている。そこで、この本が描き出す李白像を見ておくと、

 ――李白が主に活動した時期は「唐王朝の政治は日に日に腐敗し、社会の矛盾が激化し、遂には安史の乱(巨大な内乱)が勃発し、強盛から衰退への曲がり角にあった」。「李白は、そんな時期に起きた多くの重大な歴史的事件の目撃者であり、この時代を詠んだ卓越した詩人」である。

 「李白は仙界を遊ぶ形式の詩を多く詠んでいるが、そのなかで宗教的迷信のデタラメさを明確に詠い揚げるだけでなく、それによって真っ暗な現実に対する不満と批判とを常に表現していた」。その詩は「玄宗皇帝を頭とする統治集団の暗黒振りと腐れ切った姿を厳しく糾弾し、神聖視されていた孔子と儒教とを嘲り笑い、芸術における表現手法の翼を思い切って伸ばし、想像の世界を縦横無尽に飛翔し」、詩もまた人を教え導く礼教の一環だと主張する儒教伝統の詩歌観には「背を向けた」。

 李白の作品は、「国家の安危に高い関心が払われている。進歩的な理想的立場を堅持し追い求め、反動権力を蔑視し権貴に反抗し、暗黒な現実を厳しく憎み」、「腐れ切った反動統治集団を情け容赦なく告発し、激しく打ち据え」ている。

 彼の作品は「当時の詩歌の発展に巨大な推進作用を果たしただけでなく、後世の詩歌にも深甚な影響を与えた。彼は、国家の安危と人民の疾苦に深い関心を抱く進歩思想と腐敗堕落した権力と儒家の旧い伝統を蔑視する反抗精神を持ち、芸術面での卓越した業績は後世の人々の尊敬を集め学ぶべきものである」――

 要するに、この本に拠れば、李白は世間が驚くような大酒呑みではなく、腐敗堕落した王朝権力集団への鋭い批判精神を込めた多くの作品を詠み続けた進歩思想の持ち主、つまり実直な政治主義者だったということになる。だが、この李白解釈には無理がありすぎる。李白に反権力・反儒教という思想的立場を持たせたい。執筆者たちが李白に託した政治性の底にどんな意図が隠されていたのかは不明だが、それでは「李白一斗詩百篇」と形容される李白の自由闊達・融通無碍な詩心を台無しにしてしまうのではないか。

 馥郁たる酒の香漂う李白の詩に偏頗な政治性を持ち込む無粋なヤツは、誰だ。《QED》