樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 727回】             一ニ・三・仲七

    ――歴史認識なんて・・・出任せの方便ですよ

   『《斉民要術》及其作者賈思勰』(浙江農業大学理論学習小組 人民出版社 1976年)


 『斉民要術』が対象だが、前回(726回)で取上げた『《斉民要術》選注』の1年前(76年)の出版だ。76年から77年の1年間に毛沢東の死と四人組逮捕という事態が発生。驚天動地の大異変に、さしもの文革も幕を引かざるをえなくなってしまった。なにせ毛に四人組を加えた文革推進集団の“五人組”がコケてしまったわけだから。ところがこの本は五人組健在当時に出版されていただけに、文革が現在進行の形で色濃く反映されている。

 先ず体裁。やはり巻頭には「中華民族の文明が開かれる歴史において発達したと素直に讃えるべき農業と手工業があり、多くの偉大な思想家、科学家、発明家、政治家、軍事家、文学者や芸術家があり、そして豊な文化典籍があった」なる「毛主席語録」を掲げる。本文では毛沢東の著作から数多く引用した片言隻語を金科玉条の如く散りばめ、この本の主張の“正当性”を誇示し、読者が疑問を持つことを断固として許さないといった雰囲気だ。

 次いで内容だが、当然のように『《斉民要術》選注』とは大違い。賈思勰が法家であり反儒教思想の持ち主であり、名もなき農民から積極的に学んだ実践家であり、素朴な唯物主義者といった評価を、積極的・全面的に展開する。以下、その論旨の大筋を示すと、

――「歴史上の法家と同じように、賈も法家の農耕重視の思想から出発し『富国強兵』の道を求めた」。彼が掲げた「法家思想は先ず彼の農耕と生産労働を重視する観点に結実した」。「多くの歴史的事実が語っているように、法家の『富国以農(国を富ますに農を以ってす)』という政策を実行してこそ、当時の腐敗した政治情況を改めることが可能なのだ」。

 「水害・干害・虫害などの自然災害に毎年のように襲われ、飢餓や労役の犠牲者が『満道白骨交横(道に白骨交々に横たわり満つ)』という悲惨な情況を大胆に明らかにし糾弾し、このような災難は『王権』の腐敗こそが生み出したものだと鋭く指摘する」。そして彼は「繰り返して農業の重要性を明らかにし、『力能勝貧(どりょくはよく貧しさに勝つ)』という思想を熱っぽく説く」だけでなく、「孔子や孟子などのように働く人民を蔑視し、生産労働を軽視し、『不事農桑、専尚空談、不耕而食、不織而衣(農桑に事えず、専ら空談を尚び、耕さずして食らい、織らずして衣る)』といった悪習を極めて憎悪した」。

 「彼は『人定勝天(人、定ず天に勝る)』という素朴唯物主義思想を継承し、農業生産の良否は上天の恩賜や懲罰ではなく、人民の力量にあるとみていた」。「こういった思想は、孔子や孟子の流派が高らかに宣命する『死生有命、富貴在天(死生は命に有り、富貴は天に在り)』といった『天命観』や農業生産における『靠天吃飯(天に靠れ飯を吃う)』などの唯心主義思想と鋭く対立するものだ」

 「彼は豊富な経験を持つ老農民に教えを受けることや農業にかんする伝承や歌謡を重視し」、「民衆の実践経験を重んずる思想に導かれ、先人の研究成果と積み重ねられた豊富な生産経験を極めて高く評価し」、「その科学性を検証するため、常に自ら生産労働に参加した」。その唯物主義は不徹底だが、「『斉民要術』は我が国労働人民の智慧の結晶である」。かくして、「プロレタリア階級独裁を強固にし、我が国社会主義農業科学技術事業を発展させ、農業の機械化と現代化を実現させるため、さらなる貢献をなそう」――

 その実、この本には威勢のいい政治的スローガンが虚しく書き連ねてあるだけ。確か毛沢東は「人民群衆は無限の創造力を持つ」と教えている。『斉民要術』で「プロレタリア階級独裁を強固に」・・・ううん、驚くばかりに凄まじい「無限の想像力」ではある。《QED》