樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 730回】              一ニ・三・念五

    ――へリクツ、いいがかり・・・天に向かって吐いたツバ

    『反動階級的“聖人”――孔子』(楊栄国編写 人民出版社 1973年)


 中国には万巻の古典から片言隻語を掻き集め、ゴ主人サマの意に沿うような“大文章”を自由自在にデッチあげ、ゴ主人サマに尻尾を振り、ゴ主人サマにとっては不倶戴天となる政敵潰しの片棒を懸命に担ぐ学者商売がある。もちろん、ゴ主人サマがコケて権力の舞台から転げ落ちれば、「水に落ちた犬に石を投げつけろ」の格言を忠実に守って、昨日までのゴ主人サマに向かって懸命に石を投げつける。投げつける石がなくなると、また新しいゴ主人サマ探しを始める。こういった太い神経を持つ懲りない面々を筆杆子ともいう。

 その典型が、文革が始まるや「私のこれまでの著作はデタラメだった。全部燃やすべきだ」と高らかに宣言し、毛沢東に媚び諂った郭沫若だろう。郭に負けず劣らず有能な筆杆子が、この本を著した楊栄国。国を栄えさせる・・・何とも皮肉な名前だ。彼はゴ主人サマである四人組のために、該博な古典知識を武器にして批林批孔の戦線へ躍り出た。

 「孔子が生きた春秋時代末年は、周王朝の種族奴隷制国家が崩壊に向かおうとする時代だった」と書き出され、「種族奴隷制度の下では、奴隷はブタや犬に劣る生活を強いられただけでなく、命すら奴隷所有者の手に委ねられていた。奴隷所有者は奴隷を思いのままに殺すこともできた」と続け、「社会は変革し、時代は前進する! 奴隷たちは造反し、新しく興った力が前進を続け、奴隷所有階級は不安なままに終末を迎える。歴史の潮流が逆巻くなか、社会の大変革の渦中で、奴隷所有貴族たちは没落への道を歩む」とくれば、この本で楊が語ろうとする主張の粗方は予想できるだろう。つまり孔子は前進する歴史の潮流に逆らい、新しい時代を切り拓こうとする造反した奴隷に楯突き、没落を運命づけられた奴隷所有階級に奉仕し続けた極悪非道の反動ヤローということになる。

 かくして楊は孔子の反動振りの証明に躍起となる。その一例だが、楊は「元来、孔子は奴隷は働かせればいいだけで、決して知識を持たせてはならないと考えていた」とし、その論拠に『論語』(泰伯 第八)の「子曰く、民は之に由ら使む可し。之を知ら使らしむ可駆らず」を挙げる。だが、この部分を素直に読めば「老先生の教えられるところでは、人々を政策に従わせることはできるものの、政策の意義や目的を理解させることは存外に難しいものだ」となるはず。つまりコジツケ、いいがかり、ヘリクツが筆杆子の武器なのだ。

 かくして結論は、「これまで述べたことから、ある結論を導き出せる。凡そ歴史の歯車を逆転させようとする輩は、とどのつまり、ありとあらゆる悪知恵を持ち出して孔子という幽霊を担ぎ出す。劉少奇、林彪などというヤツラがそれだ。こうして彼らは資本主義を復活させ、プロレタリア独裁を転覆させようという反動目的を達成させるべく画策した」ということになるわけだ。

 そしていま21世紀初頭の金満情況に在って、「ありとあらゆる悪知恵を持ち出して」いるかどうかは知らないが、共産党政権は「孔子という幽霊を担ぎ出」し、国内では民族文化の精華として孔子を崇め奉り、海外では“輝かしい中国文化”を教え広める拠点として孔子学院なる機関を大々的に展開中だ。ということは楊の理屈に従えば、現在の共産党政権は「資本主義を復活させ、プロレタリア独裁を転覆させようという反動目的を達成させるべく画策し」、「歴史の歯車を逆転させようと」していることになる・・・なぜか納得。《QED》