樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 734回】             一ニ・四・初二

    ――『矛盾論』の賞味期限は切れてしまった・・・のか

   『学習《矛盾論》例選』(上海師範大学中学教学研究組編 上海人民出版社 1974年)


 毛沢東が物事は内部に抱える矛盾・闘争によって発展するという考えを最初に打ち出したのは、1937年の延安における講演だった。52年は、この考えを大幅に整理し『矛盾論』として発表した。以後、毛沢東哲学の代表作として評価は定着するが、“タネ”を明かせば、ソ連の哲学教科書パクリにレーニン式弁証法(対立物の統一)の焼き直しとの指摘もある。

 さはされど文革期だ。理論雑誌『紅旗』、共産党機関紙『人民日報』、解放軍機関紙『解放軍報』などには『矛盾論』を学習し日常身の回りの難問を解決した実例――いわば、如何なる難問もピタリと解決してしまう『矛盾論』の“脅威の効能”が細大漏らさずに報じられていた。そんな記事を集め、内容的に「両種の宇宙観」「矛盾の普遍性」「矛盾の特殊性」「闘争哲学の堅持」などに分類し再構成したのが、この本である。いわば四人組絶頂期、中国庶民が難解な毛沢東哲学を“活学活用”した成果報告といったところだ。

 そこで、いくつかの興味深い実例を挙げておきたい。

■蛍光灯の刺激によって鴨の卵の増産に成功した例――

 冬から春の季節は北京ダック用鴨の成育の好機だが、北京の鴨が冬に産む卵の量は少ないし、時にはゼロといったこともある。これでは需要に追いつかない。そこで鴨を半分に分け片方をケージに入れて飼育すると、ケージ飼育の鴨の卵の生産量は20%前後から80%にまで跳ね上がった。仔細に観察すると卵増産は電灯によってもたらされることが判明。

 かくしてケージ内の電灯の点灯時間を延長することで卵の増産を図り、鴨の大量生産に成功した。ここで『矛盾論』を持ち出して、「以上は、外因は一定の条件下では重要な作用を及ぼすものである」と強引に結論づける。

■化学工場廃液を肥料に変質させることに成功した例――

 水郷と稲作地帯に位置する化学工場が排出する廃液が、長期にわたって漁師と農民の生活を脅かしてきた。だが、「廃液・産廃物がでなければ化学工場はなりたたない」という固定観念を破るべく、廃液を化学処理することによって肥料に作り変えた。これを『実践論』では「事物の転化を促し、革命という目的に到る弁証法」という。

■反腐敗闘争において攻勢に転じて成功した例――

 南京の某商店では反腐敗闘争を積極的に進めてきたが、「労働者家庭出身の従業員のなかには、世界観の改造を怠り、ブルジョワ階級の生活方式を真似し、追求し、最終的には犯罪の道に奔る者がいる」。

 だが「闘争の中で、ブルジョワ階級と我われが青年を奪い合っていることを学んだ。階級の敵は青年を毒し堕落させようとする。これは客観条件であり、不可避であり、この世界には『紅い保険箱』などというものはありえない。青年を温かい環境に閉じ込めようとすることは不可能であり、彼らの成長にとってはマイナスに働く。広範な青年を階級闘争の厳しい環境に置いてこそ、彼らの政治的覚悟を高めさせ、腐敗に対する能力を強固にすることができる」らしい。『矛盾論』によれば、これこそが「闘争哲学の堅持」なのだ。

 金満中国において社会的腐敗は止まるところを知らない。「『紅い保険箱』などというものはありえない」以上、いまこそ「闘争哲学の堅持」が必要だろう。だが肝心の「闘争哲学」は無惨にも忘れ去られ、「金銭の哲学」が持て囃される。『矛盾論』の矛盾だ。《QED》