樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 735回】               一ニ・四・初四

     ――これが中国経済の“超成長の秘密”を解くカギ・・・かな

     『我国古代以弱勝強的戦例』(柯理編写 人民出版社 1973年)


 毛沢東は『中国革命戦争的戦略問題』『論持久戦』『抗日游激戦争的戦略問題』を著し、紀元前684年から紀元後の383年までの1000年余りの間に戦われた10回の戦争を、「弱い軍隊が強大な軍隊に勝利できた輝かしい思想を闡明にするための我が国古代の有名な戦例」と位置づけ論じている。これらの戦いで弱軍を勝利に導いた最大の要因こそが「正確な主観指導」であり、毛沢東が「示した正確で透徹した論述を、我われは真剣に会得し学習しなければならない」というのが、この本の狙いのようだ。

 この本は「戦争の勝敗を決定するのは彼我の政治、軍事、経済など多方面の条件だが、最初に政治条件だ」とする。では政治条件とは何なのか。それこそが戦争が実現を目指す道義・正義であり、人心の動向ということになる。いいかえるなら、道義や正義のない戦争は人心の荒廃と離反を招き、敗北は必至だ。であれば勝利への基礎条件は、戦争を如何に意義づけ、銃後も含め人々の心に正義への信念を植えつけ、人心を戦争勝利の一点に纏めあげることだろう。かくして「いかなる戦争、あるいは戦闘においても、勝利を可能にするのは主観指導の適不適にある」とし、10例を1つ1つ具体的に論じている。

 ここで、どうにもよく判らないのが「主観指導」という考えだが、勝ち戦の10例を通じて浮かんでくるのは、どうやら次の4原則といえそうだ。

第1原則=戦争指導者は先ず自軍戦力の温存に細心・最大の注意を払え。「戦争の基本原則が自らを保ち、敵を殲滅すること」である以上、弱軍が強軍に真っ向勝負を挑んだところで敗戦は必至。亡国への道を辿ることは当然すぎるほど当然だ。だから弱軍は自己の兵力の温存を第一に考え、その後に敵軍を制し殲滅させる方途を求めるべきだ。典型的成功例として、白馬から自軍を退却させ官渡防衛に振り向けた曹操の指揮ぶりを挙げる。

第2原則=敵の錯覚を誘い、時間的・空間的に予想外の方面から不意の攻撃を仕掛けよ。奇計・奇策を弄して敵の虚を徹底して衝き勝利を呼び込むべし。この本には好例として、韓信による背水の陣、曹操の延津における「声東撃西(東を攻めると公言しながら、西を撃つ)」の戦法、赤壁における黄蓋による曹操軍の軍船焼き討ちなどを挙げられている。

第3原則=「弱軍が強軍に対峙した場合の最も有効的な戦法」である敵を奔命に疲れさせたうえで攻撃を仕掛けよ。「これこそ弱軍の強軍に対する最も効果的な戦法」で、「強い敵軍からの攻撃を回避し、自らの戦力を温存し、敵軍の勢力を消耗させ弱体化させることが可能となる。戦力の優劣を逆転させ反転攻勢に転ずる条件」とする。好例として、曹操の指揮による官渡における堅固な守備を挙げている。

第4原則=先ず敵の弱い部分に攻撃を仕掛け、各個撃破を狙え。この本では「先ず自己の少数精鋭の主力を敵の弱い末端部分に向け、戦闘で勝利したら、再び他に転じて各個撃破し全戦局で攻勢に出て戦いの主導権を握る」との毛沢東の考えを引用し、これこそが弱軍が強軍に勝利できる道だと説く。劉邦が正面に布陣する項羽軍主力を牽制する一方で韓信を北方に派遣し黄河を渡河させ、魏と代を破り、転じて趙、斉を各個撃破し、遂に項羽軍の羽翼を瓦解させ、項羽麾下の楚軍殲滅に極めて有利な条件を作り出した例を挙げる。

 ――この4原則を拳々服膺・活学活用したからこそ、共産党政権は経済弱国・貧乏大国を経済強国へと大変身させることができたわけだ・・・「偉大的領袖毛主席、万歳」。《QED》