樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 742回】             一ニ・四・念五

    ――どこまでもついて行きます下駄の雪・・・

   『妖魔化中国的背後』(李希光・劉康他、中国社会科学出版社 1996年)


 この本は香港返還を1年後に控えた96年に出版されている。70年代末に始まった開放政策による経済成長路線が定着し、89年の天安門事件の後遺症も脱し、社会は日々に豊かさを実感しつつある。1840年のアヘン戦争で奪われ、屈辱と汚辱に塗れた近代の象徴である香港を奪い返すまでに国力は回復した――こういった内外環境の変化が一部の知識人を刺激し、「世界史的にも現状からも、中国が本来的に占めるべき地位を占めてどこが悪い」といった高揚感を呼び起こし、『中国可以説「不」(「ノー」と言える中国』に代表される世界に向かっての自己主張モノの出版ブームが起こったように思える。この本も、そんなブームに便乗して出版されたように思える。

 表紙を開くと、「士可殺、不可辱 ――中国古訓」との大きな文字だ。「士は殺す可し、辱しむる可からず」とは穏やかではないが、並々ならぬ“決意”の表白だ。かくして巻頭の「中国人覚醒了」と題されたい総論は、烈火のアメリカ批判を展開する。

 「中国人は覚醒した、ことに中国の青年知識層は覚醒したと私はいいたい。彼らは80年代初期のアメリカ崇拝の心情から日々に明らかに脱しつつあり、現在、彼らは敢えて自らアメリカを批判し、アメリカ入国ビザと(労働許可証である)グリーン・カードを取得できないことすらも恐れない。/中国人は覚醒したといっておく」

 この本は8人の共同執筆だが、その多くは78年――まさに中国の“夜明け”の年に南京大学外文系英米文学専攻クラスに進学し、アメリカ漬けの大学生活を送ることになる。

 「アメリカの伝統的文化価値と政治制度の創始者であるルソー、エマーソン、ジェファーソンなどの哲学と政治学の著作を朝から晩まで読み耽り、時に進んでアメリカにおける政治家の情況を学び、彼らの思想を同級生に熱く語って聞かせた」。文学を専攻した者は「一日一冊。まるで飢えた狼のようにアメリカ小説を読み、学期の終わりには百冊を読みあげた」。ある仲間は「毎晩、古ぼけたトランジスター・ラジオを抱えて屋外に立ち、VOA放送の英語ニュースに聴き入った。彼の記憶力は抜群で、聴き終わった後、15分間のニュースをほぼ間違いなく我らに伝えてくれた。4年間の大学での勉強の結果、知識に差はあるものの、思想感情の上からはアメリカに更にさらに近づいたものだ」

 やがて彼らはアメリカへの留学を果たし、この本を執筆した当時はアメリカの大学で教壇に立ち、あるいは「ワシントン・ポスト」などの新聞社に勤め、あるいはアメリカで研究生活を続けている。そんな彼らが口を揃えて、「歴史的にみて、アメリカは中国を直接侵略しなかったし、かつて日本が中国を侵略した際、アメリカは物心両面から援助してくれた。目下、在米の中国公費留学生は4.4万人であり、日本への留学生の倍に相当する」。にもかかわらずアメリカは、李登輝や天安門事件を引き起こした人物などに連なる「中国政府に対する呪詛の念を片時も忘れず、中国政府転覆を呼びかけ続ける」ような「知識界の反華反共分子」に「一定の市場を与えている」。このように「アメリカ人こそが我らのアメリカ批判の感情を徒に煽り立てているのだ。アメリカのメディアにおける中国妖魔化(demonizing China)の陰謀こそが、中国知識人の心を呼び覚ますのだ」と綴る。


アメリカにおける「妖魔化中国」の「背後」にあったアメリカに対する狂おしいばかりの憧れ。「アメリカは中国を直接侵略しなかった」ということばは、アメリカ好きの別の表現なのだ。この本は中国人知識人のアメリカに対する切々たるラブレター集だった。《QED》