樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 743回】              一ニ・四・念七

     ――その言い草を、滑稽無類・荒唐無稽・笑止千万といいます


 4月27日朝、成田を発って上海経緯で昆明に向かう。機内で手にした『環球日報』(4月26日)を読んでいると、「国際論壇」欄の「中国の大衆は興味を失っているのに、なぜ反対に西側では増しているのか」と題した単仁平(同紙評論員)の論説が眼についた。

 彼は日本でも関心の高い薄熙来事件への反応について論じ、「薄熙来に関する事情について、中国民衆が最も高い関心を示していた時期は既に過ぎ去り、与論は常態に復した。現在の中国において、大衆が一つの事件に対する興味を持ち続けることは難しくなった」と書き出し、にもかかわらず、なぜ西側では薄事件に関し根掘り葉掘り、あることないことを大仰に報じるのかと疑問を呈した後、次のように綴る。

 「先ず指摘したいのは、西側での(薄事件に関する)過剰報道は中国政治における薄熙来の地位を過大評価している点にあるということだ。薄が法律に基づいて追及・処断されることは確かにショックではあるが、それは中国の正常な政治生活においは必ずしも突発的出来事というわけではなく、同時に中国の政治体制と国家戦略に対する衝撃でもない。それゆえに衝撃は短時間のうちに沈静化する」と述べる。

 次いで、「西側のある種の人々は、薄個人の中共全体の執政作風に対する破壊力を誇大に評価するが、薄が重大な腐敗行為を行ったか否かの認定は中央における最終的調査の結論を待たなければならない。じつは薄は中国幹部層の全体を代表するわけではない。ここ数年、確かに指導幹部のなかから腐敗分子が摘発されてはいるが、中央は腐敗を厳重処分すべしとの態度を鮮明にしているし、社会全体が監視・監督に積極的に取り組んでいる。それゆえ現在の中国においては、社会的地位の高低にかかわらず、重大な腐敗行為を犯しながら処分されないなどということはありえない」とする。かくして、「薄熙来の事件は極めて唐突に発生した。それが中国社会に新たなる成熟と活力をもたらす一方で、正しいようで間違った噂が流布し社会を混乱させないように希望する」と結ぶ。

 ここで興味深いのは、「ここ数年、確かに指導幹部のなかから腐敗分子が摘発されてはいる」と正直に認めている点だ。ということは、あるいは単仁平は実は「薄は中国の凡ての幹部層を代表」していると告発したかったのではなかろうか。むしろ、そう糾弾したほうが論旨が明確になっていたように思える。胡錦濤を筆頭とする「中国の凡ての基層幹部」における夫人や子女、さらには親族を含む権力をカサに着ての黒金(ダーティー・マネー)ビジネスが枚挙に暇がないことから、容易に指摘できそうだ。

 じつは薄事件の第一報が伝えられた際に先ず頭に浮かんだのが71年に発生した林彪事件だった。「毛主席の親密な戦友」と讃えられ、共産党規約で毛沢東後継と名指しされながらも毛暗殺を企てソ連への逃亡途中にモンゴルで墜落死したというのが、共産党の公式見解である。「中国の大衆」が林彪夫婦の“天をも恐れぬ犯罪”を知らされたのは、事件発生から1年以上も過ぎた後のこと。林彪夫婦の不可解な最期に薄夫婦の栄光の座からの失墜を重ね合わせるなら、必ずしも「衝撃は短時間で沈静化する」というものでもないだろう。

 薄夫婦もまた林彪夫婦と同じように政権交代期特有の権力闘争の渦中で生贄にされた。だからこそ共産党政権が続く限り、事件の真相は藪の中に蔵われたままで終わるはずだ。

 林彪夫婦から40年後に薄熙来夫婦。さて次なる生贄は・・・クワバラクワバラ。《QED》