樋泉克夫教授コラム

【知道中国 780回】                      一ニ・七・二十

 ――「滇緬抗戦」は「2つの偉大なる国家における友誼の証」だそうだ

 ブラブラと館内を歩いていると、10人ほどの中国人が群がっていた。面白そうなので近寄って耳を傾ける。話題の中心は彼らが前にしているガラスケースに収められた「遠征軍軍旗」だった。会話の内容からして、誰もが共産党が遠征軍を派遣したものと思い込んでいるようだ。だが事実は違う。遠征軍の正式名称は雲南遠征軍で、実態は「蒋介石軍で、・・・米式重慶軍」(古山高麗雄『龍陵会戦』文春文庫 2005年)だった。だからこそガラスケースの中の軍旗は、当然のように中華民国の軍旗である。だが、そのことが参観者には判っていないから、中華民国軍旗も共産党が使っていたと思い込んでいたのだ。

 じつは博物館に冠せられた「滇緬抗戦」においては、共産党の出る幕はなかった。だが共産党としては、そんなことは断固として認めるわけにはいかない。そこで必死に、巧妙な仕掛けを施し、事実を知らされていない参観者の“洗脳”に努める。たとえば「美国前総統布什給保山市長熊清華先生的信」との説明文がある展示品だろう。

 「美国前総統布什」、つまりパパ・ブッシュが騰冲を管轄する保山市の熊清華市長に送った書簡だ。コピーと思われる正文の便箋最上部中央には「GEORGE BUSH」と印刷されている。その脇に中国語訳が置かれ、双方がガラスケースに収められている。英文の方の末尾にはブッシュのサインがあり、日付は「September 28,2004」だ。9月28日、つまり中国人が「九・一八」と呼び抗日・反日の記念日とする満州事変勃発の9月18日から10日後というのが微妙なところだ。

 さて中国語の訳文を忠実に訳すと次のようになる。

 「保山市市長熊清華先生/親愛なる市長先生/60年前、米国からやってきた者と中国の若い兵士とは怒江戦役において肩を並べ作戦を展開し、日本天皇の軍隊を追い払った。/アメリカ人飛行士は地上で包囲され困窮する部隊に物資を空中投下する際に犠牲になった。/世界大戦における最高の戦場において、アメリカと中国の歩兵は山上の拠点を猛烈に攻撃し、アメリカの医療要員は勇敢にも敵の銃弾を恐れず傷ついた中国兵に寄り添い救助した。/1946年、尊敬すべき騰冲人民は、英雄的な中国兵士が永眠する墓苑に一基の記念碑を建立し、この地においてアメリカ人が示した奮闘ぶりを記念した。60年後、感動的な一事を記念するため、両国の人々は墜落したアメリカ人1人1人がそれぞれに注いだ心血を確認した。いま、あなた方は彼らのために再び記念碑を建立した。/私は凡てのアメリカ人を代表し、雲南人民が遥か昔の犠牲者に与えた栄誉に満腔の感謝の意を表す。これは、当時発生した凡ての事実に対する記念碑というだけではなく、現在、我ら2つの偉大なる国家における友誼の証である。/最高の祝福を/喬治・布什(ジョージ・ブッシュ)/2004年9月28日」(「/」は改行を示す)

 アメリカ大統領経験者が差し出し、保山市市長が受け取る。ならば一種の準公式な意味合いを持つ書簡だろう。それだけの格式を持つ英文が指し示そうとする意味・語感が忠実に中国語訳に反映されているかどうかを判断する能力を持ち合わせていないだけに、何ともいいようはない。だが少なくとも中国語訳だけを読む参観者は、日中戦争勃発以来、紆余曲折はあったものアメリカと中国の関係は続いているだけでなく、「滇緬抗戦」という体験こそが「我ら2つの偉大なる国家における友誼の証」となっている。いわば「滇緬抗戦」が現在の米中両国を結び付けている――と読み取ることになるはず。

 やはり敵は日本。

 滇緬抗戦博物館は反日・侮日をテーマ、今後も米中友好を演出し続けるだろう。《QED》