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樋泉克夫教授コラム
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【知道中国 785回】 一ニ・八・初一
――犯罪は時代を映す鏡・・・ですね
それにしても、この「懸賞公告」は奇妙だ。容疑者を特定できるようなマトモな情報があるわけではない。だいいち、容疑者の名前からして判らない。「不確かな標準語をしゃべる」とあるが、40年ほど前の香港留学当時、中国哲学の世界的権威から「まともな中国語をしゃべる中国人にマトモなヤツではない」と教えられたことを思い出した。その時は、そんなバカなと思ったが、その後の経験から確かにそうだと確信するようになった。考えれば、中国人の大部分が方言の影響できつい訛の「不確かな標準語をしゃべ」っている。ならば、これでは容疑者を特定できはしない。
加えて「男、40歳前後、身長1.7m、中背、色黒、がに股歩き。変わった性格。寡黙で口数が少なく、他人と交わらない。早起きの習慣あり」といったところで、特に際立った特徴というわけではないだろう。なにせ中国の人口は日本の12倍前後だ。だから、この程度の特徴をもった人間は数限りないだろう。毛沢東のゲリラ理論ではないが、人民の海に隠れてしまえば捕捉は至難、いや不可能に近いのではないか。
そんなことより興味深いのは、「懸賞公告」が中国社会の変化を確実に反映していることだろう。49年に建国すると、毛沢東政権は人民の海外との往来を厳禁する措置を採った。これを東欧と西欧の交流を断ったスターリンの「鉄のカーテン」に倣って、毛沢東による「竹のカーテン」と呼ぶ。都市住民を対象に1人1人の動静を確実に捕捉し管理すべく同居家族を1単位に、単身居住者は個別の戸口とする都市戸口管理暫定条例を、建国2年後の51年に施行している。58年になると、これを全国化した戸口登記条例を制定し、各地の公安機関に戸口の登記・管理を委ねた。つまり生まれてから死ぬまで国民1人1人を公安(警察)が管理するのだ。住民が戸口制度で登録した住所を2日以上離れる場合は、確か公安に届けなければならなかったはず。だから、実態は公安による人民監視ということ。
農業が嫌だと都市に潜り込んでも、都市戸口がない限り野垂れ死ぬしかない。「都市で農民が自由になるのは空気と便所だけ」だった。農民は人民公社に縛られ、都市住民の腹を満たし、農産物を海外に売って資金を稼ぎ工業に奉仕する生活を余儀なくされたわけだ。
つまり毛沢東の時代、中国人は頭の中は毛沢東思想に洗脳され、頭から下は「竹のカーテン」と戸口制度に絡め捕られ、どうにも身動きが取れなかったのだ。郷に入っても郷に従おうとしない中国人が世界中で問題を起こしている現状を考えれば、中国以外の国々にとっては毛沢東の“大英断”が幸いした、というべきだろう。毛沢東バンザイ、だ。
対外閉鎖し自力更生を掲げ全国的な政治運動を連発する一方、人口増加は生産力の拡大をもたらすと妄信していた毛沢東は、とどのつまり資金不足と劣悪な技術という“負の遺産”を残して死んだ。そこで登場した鄧小平は、対外閉鎖を解くことで豊富な外資と海外の先進技術を取り込む一方で、増えに増えた人口を安価な労働力として外国企業に提供することを狙った。膨大な人口を“人身御供”に中国を「世界の工場」に大改造したわけだ。かくして82年に人民公社を解体し、戸口制度をなし崩し的に緩和することで、膨大な農村人口を広東や福建の沿海部に進出した海外企業にタダ同然に提供した。これが鄧小平による改革・開放政策の実態であり、現在の「経済大国」への出発点となったわけだ。
おそらく自由な国内移動が厳禁されていた毛沢東の時代には、「懸賞公告」など不要だったろう。そう考えれば、「40歳前後、身長1.7m、中背、色黒」の男が「がに股歩き」で中国各地を闊歩、いや逃走できるのも、新しい時代の新しい中国であればこそ、だろう。《QED》
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