樋泉克夫教授コラム

【知道中国 786回】                    一ニ・八・初三

 ――泥菩薩過江、難保自身・・・馬鹿も休み休み願いたい

 産経新聞(8月2日)に掲載されたコラムには、首を傾げざるをえない。

 一面に掲載された論説委員の「『メタル』独占狙う中国」だが、ロンドン五輪のメダル獲得情況から「五輪ではメダル獲得で国威を示す中国だが、同時に世界のメタルの独占も虎視眈々と狙っていることを忘れてはなるまい」とし、ハイテク技術に必要不可欠なメタル独占に意欲的な“強欲中国”への警鐘を打ち鳴らす。

 自らの一党独裁権力の維持・拡大を狙う共産党政権が漢民族意識の根底に宿る1840年のアヘン戦争以来の日米欧に対する“怨念”を煽り、近現代中国に災禍をもたらした国々への“逆恨み”に近い復仇を国是としている現状から判断して、論説委員の主張に間違いはない。だが、その後がイケナイ。いや、大いにイケナイ。

 論説委員は「現在の中国は古代中国と違い、『中華』の看板は飾っているものの、その度量も風格もまるでなく、近隣国の領土領海と、そこに存する資源や権益を狙うだけの国になっている」とする。だが「現在の中国」のハシタナイ行為を咎めようと「古代中国」を持ち出すが、そこに問題があるのだ。

 先ず尋ねるが、「古代中国」とは、いったい、どの王朝を指すのか。上古三代か。「至聖」と奉られる孔子サマが崇めた旦公治下の周か。始皇帝の秦か。漢楚軍談で知られる戦いで覇王・項羽を降した劉備の打ちたてた漢(前漢)か。ここに挙げた「古代中国」の王朝の、どこに「『中華』の看板」に相応しい「その度量も風格も」あるのだろうか。そもそも「古代中国」の「度量も風格も」、司馬遷の著した『史記』が遺しているものであり、前漢以後の事績にいたっては後継王朝が自らを正統化すべく用意した史観に従って大いに潤色されたもの。ならば「その度量も風格も」、極論すれば幻影に近いというものだろう。

 そもそも「中華」とはなにか。「古代中国」は有難くも自らを「中華」と宣わったのか。清朝史の専門家である増井経夫が説くように「おしよせてくる近代の洪水に溺れるものがつかんだ藁、それが中華思想」(『大清帝国』講談社学術文庫 2002年)であろうに。

 そこで再度問うが、「現在の中国」が「古代中国」に倣って「中華」と呼ぶに相応しい「その度量も風格も」兼ね備えていたなら、「近隣国の領土領海と、そこに存する資源や権益を狙」うことを許すのか。そもそも近代世界の仕組みとは相容れない「中華」などという愚にもつかない観念を持ち出すこと、それ自体を無意味、いや迷惑至極というべきだ。

 次いで6面の「オピニオン 世界史の威風⑱」では東大名誉教授が「『大航海時代』先駆けた宦官」と題し、明代に東南アジアからアフリカ大陸東海岸まで航海した鄭和を挙げて、オリンピックの基盤となるグローバル世界を切り開いた15世紀の大航海時代に「先立つこと100年前、大海に乗り出し空前の大事業をなしとげた男がいた」などと論じている。

 だが、頭を働かせて貰いたい。鄭和の航海は物見遊山ではない。東南アジアからインド洋を経てアフリカ東部海岸に続く広大な海域における交易秩序の再構築、つまり海洋覇権の掌握にあったことを忘れてもらってはこまる。じつは明朝廟堂で展開された政争において海洋派が敗北したことで鄭和の試みは抹殺され、以後、明朝は大陸帝国となったのだ。明代中期に海外に向かって自らを閉じ逼塞して以降、中国は衰退し、1978年末に鄧小平の“大英断”によって対外開放に踏み切ったからこそ本来そうあるべき超大国に回帰しはじめたと、現在の開放路線のイデオローグが絶賛している「ことを忘れてはなるまい」。

 ワケ知り顔の迷言で不用意な誤解を招かないよう、呉々もゴ注意願いたいものだ。《QED》