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樋泉克夫教授コラム
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【知道中国 787回】 一ニ・八・初六
――服務を拒否する服務員、抗議する住民たち
昆明では空港近くのレストランで昼食となった。先ずは冷たいビールで乾いた喉を潤したいのだが、女性服務員(ウエートレス)は腕組みをして遠巻きに見ているだけ。時間が遅かったせいか客はいない。だから彼女たちからすれば休憩中で勤務時間外といいたいところだろうが、こっちは客だ。しっかり服務しろ、である。大きな声で怒鳴る。すると動き出すのだが、動作は緩慢至極。なかでも体も顔つきもメタボ気味の1人はプーッと頬を膨らまし、さも不満気にブツクサブツクサ。文句の1つでも言ってやろうと思ったが止めた。それというのも、一連の彼女の動きに不思議な懐かしさを覚えたからだ。
改革・開放から6年ほどが過ぎた80年代半ば、初めて中国を歩いた当時のことだ。毛沢東に対する服務は四六時中叩き込まれていただろうが、客にはサービスしなければならないなどということを全く知らなかっただけに、どこでも店員は無愛想このうえなかった。それでも無愛想さに慣れると、それはそれで毛沢東時代が偲ばれ感慨深いものだった。
中国で店員から初めて「謝々」と声を掛けられたのは90年代初期、上海の便利店(コンビニ)でのこと。愕きと共に時代の変化を感じ、感激したことを覚えている。以来、中国人店員の客に対する服務態度は「天天向上(日々向上)」しているが、最近では余りにも向上しすぎてウソ臭く気持ちが悪い。そんな折に久々に遭遇した女性服務員による服務拒否である。なにやら往時を思い出し、不覚にも大感激してしまった。
「最西端の最も貧しい地域に、東部に集中する中央政府当局が発した政策や命令が到達するには、二〇年以上もかかった。生活条件の改善にも同じだけの歳月がかかった」と、英国在住の中国人女性ジャーナリストが語っている。昆明は「最西端の最も貧しい地域」とはいえないものの、「生活条件の改善にも同じだけの歳月がかかった」ように、服務員の振舞いが改善されるにも「二〇年以上もかか」るということだろう。やはり中国は広い。
とはいえ幹部の不正は、「最西端の最も貧しい地域」であろうがなかろうが、瞬時に全土を覆い尽くす。汚職防止策を「東部に集中する中央政府当局が発し」ようとも、「最西端の最も貧しい地域」の幹部もまた”屁“とも思わない。これまた現実なのだ。
昆明から3時間半で上海へ。空港ロビーに人だかりだ。40,50人ほどの老若男女が座り込んでいる。話を聞いてみると、虹橋空港の拡張工事への抗議だという。
ロビーに広げられた白紙に墨痕鮮やかに記されたスローガンは「劣悪なる環境では生存不可能だ」「飛行機のクソったれ、生存を妨害するな」「虹橋空港が騒音、高熱排気を撒き散らすことに厳重に抗議する」「空港拡張が住民の民生と生存権を無視している。国家にとっての恥辱だ」「基本的生存権のため、我々は法に基づき“死亡地帯”から距離を取るべきだ。今に到るも、我々の居住区は空港から200mしか離れていない」「虹橋空港は我らの権利を侵し、生存を脅かすことを即刻停止し、直ちに原状回復することを強く求める」などと虹橋空港当局者への抗議の意思を示す一方、「党は何処にあるのか。政府は何処にあるのか」「政府は、我らの正当な訴えを支持せよ」と党と政府への助力を求めるものがあった。
だが現実的に考えれば、虹橋空港当局の後ろに上海地方政府が、その後ろに中央の党と政府が控えているのだ。「党は何処にあるのか。政府は何処にあるのか」と何万遍訴えたところで、党は党のためにしか動かない。一党独裁体制であればこそ、党の下に置かれた政府に「我らの正当な訴えを支持せよ」と求めても、それは無理な話だろうに。糠に釘だ。
牢固中国、激変中国、発財中国、発瘋中国、発展中国、落後中国、先進中国、後退中国、悪銭中国、極貧中国、怨念中国、復仇中国・・・7泊8日、滇西の旅は終わった。《QED》
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