樋泉克夫教授コラム

【知道中国 789回】                     一ニ・八・十

 ――いまこそ歴史から学ぶべきだ・・・滇西旅行の終わりに(中)

 ミャンマー(緬)と雲南省西部(滇西)とは地理的にも人的にも一体化しているといえるほどに近い。今回の旅行で改めて体感し確認できたことだ。たとえば滇緬公路のミャンマー側基点でミャンマー東北部の要衝であるラシオ(漢字で「臘戌」と綴る)だ。騰冲郊外和順村の寸氏宗廟の碑文には臘戌在住の一族の名前が記され、多額の寄付金――その多くが2000年以降――が寄せられていることが見て取れた。畹町で国境関門を越え150、60km南下すればラシオ。ラシオから西南に直線で300kmほど進めば中部の大都市であるマンダレー(漢字で「瓦城」とも「曼徳勒」とも綴る)だ。おそらく華人の意識では、ラシオもマンダレーも漢字で表記する臘戌であり、瓦城であり曼徳勒であるはずだ。

 そこで「漢-シナ人Han-Chineseのグループ」による「シナ化sinicize」が黄河流域のいわゆる中原地方から南および南西、南東の方向へ向って展開され、「シナ化とはこれら南方地域の漢-シナ人の植民地化colonizationの過程にほかならず」、「それは具体的には城壁都市の建設によって表出され」るがゆえに、「シナ化とは端的に都市化urbanizationである」との大室幹夫(『劇場都市』 ちくま学芸文庫 1994年)の説に拠るなら、ミャンマーの中部以北では、いままさに「シナ化sinicize」が進行中ということだろうか。そういえば第2次大戦中、蒋介石は英軍撤退後のビルマ領有の正統性を仄めかしたこともあるそうな。

 ところでスーチーに戻るが、今年4月1日実施の補欠選挙運動のため、3月半ばにラシオ入りした彼女は2万人余の聴衆に向かって、「NLD(国民民主連盟)が勝利しても、ラシオの華人の企業活動に不都合を与えるようなことはない。華人がミャンマー国内でビジネス活動を行うことは双方の利益に適うことであり、ミャンマーと中国の間は良好な関係にある。両国間には極めて僅かな問題はあるが双方は相互理解と互譲の関係を結んでいる。国外への投資は自らの利益のためだが、関係国もまた利益を得ることになる。互恵互譲だ。我らは平等精神を尊ばなければならない」と訴えていた。

 中国側で滇緬と一括りして呼ぶだけあって、今次旅行で感じたことはミャンマーの(緬)の全土とまではいわないが、少なくともミャンマーの中部以北は滇(雲南)と一体化していると、滇西の人々は考えているように思えた。いわばミャンマーの北部と東北部とは雲南経済圏の一角を構成しているといっていいほどに経済的に中国の西南地域に組み込まれているということだろう。であればこそ昨今、反中シフトへ急激な傾斜をみせる欧米――殊に英米両国――と近しい関係にあるといわれるNLDが補選で勝利しスーチーが当選し内外に大きな政治的影響力を発揮した場合、経済活動が打撃を被るとラシオの華人が危惧したとしても不思議ではない。おそらく彼女は、華人有権者の不安一掃を狙ったはず。  

 国内少数民族尊重を掲げるNLDの立場に立てば、国内華人尊重を訴えることは当然だろう。だが彼女は単に華人票の掘り起こしを狙っただけではあるまい。彼女が口にした中国との間の「極めて僅かな問題」が具体的に何を指すかは判然とはしないものの、国内華人を通じ北京に友好のシグナルを送ろうとしたとも考えられる。

 ミャンマーをめぐって欲望が渦を巻く国際関係――「大西南 対外通道図」に従って大手を振ってsinicizeを進める北京、中国包囲網を目指す米国、旧宗主国の英国、インドとタイ――を考えた時、やはり滇緬をめぐって繰り広がられた日米中英の歴史を振り返るべきだ。“スーチー特需“に闇雲に突っ込む前に、なすべき作業は少なくないのだ。《QED》