樋泉克夫教授コラム

【知道中国 791回】                      一ニ・八・仲五

  ――キッシンジャーの“好朋友”は・・・江沢民だった

  『中国(上・下)』(H・キッシンジャー 岩波書店 2012年)

 いまや世界中の中国ロビースト業界に君臨するキッシンジャーだが、その原点は1972年に世界をアッと驚かせたニクソン・毛沢東会談の事前工作を担ったことだろう。以来、ホワイトハウスの主が誰になろうと、彼は北京の最有力エージェントとして振る舞ってきた。だから、この本は、ある程度は眉にツバを付けながら読むべきかもしれない。

 だが読み進むに従って、19世紀後半以降のアメリカの中国とのかかわり、中国市場への積年の執念を背景にした中国に対するアメリカの取り組みが行間から浮かび上がってきた。それだけに、キッシンジャー個人の回想を超えて興味深い。巻末解説は「本書の一番の価値は、日本が明治以降、ほとんど無視してきたこの米国と中国との間の、日本には持ち得なかった関係の重さをかみしめさせてくれることかもしれない」と結ぶ。その通りだ。

 さはされど、他にも読むべき点は少なくない。たとえば彼が立ち向かった歴代中国指導者に対する個人的評価だ。

 毛沢東「のゴールは革命のプロセスそのものを維持することだった。毛沢東がかつてない大激動を通してそれを実行することが、自分の特別な使命だと感じていた。それは、人々が厳しい試練の中から純化され、変容して現れるまで、決して休むことを許されないものだった」。ところが「中国社会を根底から覆すという生涯をかけた大闘争の後、毛沢東は中国文化と中国人は変わらないという苦い認識に至った」と看做す。
当然のように毛沢東については多くを語り評価も高いが、周恩来への言及は予想外に少なく、「毛と毛の膨大な行動計画の素材となっていた国民との間を取り持つ、欠くことのできない人物だった」と木で鼻を括った程度。なんとも味も素っ気もない。

 鄧小平が「一党支配を維持しようとしたのは、権力の特権を享受していたかったからではなく(中略)一党支配以外の道は無政府状態につながると考えていたからだ」と、終始一貫した強権政治を是とし、であればこそ「上からの改革により中国を強国にしようと考えた、清朝末期の変法自強運動の改革者たちの見果てぬ夢から一世紀を経て、鄧小平は、毛沢東の遺産を飼いならし、作り替えることによって、中国を改革のコースに頭から飛び込ませた」と、その「先見性、執念、判断力」を大いに讃える。
じつに意外だったのが、江沢民を手放しで褒め称えている点だ。たとえば「私が出会った中国の指導者の中で、江は最も中華帝国的でないタイプの個性を持った人」であり、「国際人であり、中国は中華帝国として遠方から、あるいは支配的に国際システムに関与するのではなく、その国際システムの中で生きていかなければならない、ということを理解していた」と語る。いやはや裏に何か“個人的事情”でもあるのだろうか。

 胡錦濤に対する直接的言及はみられないが、「文化大革命による社会崩壊の時期に成人となった中国の指導部世代にとって、この理論(「平和的台頭」と「調和の取れた世界」)が描いているのは、魅力的に見える大国への道筋」であるとする。その一方で、「(「経済的台頭」に加え「軍事的台頭」が必要であるという主張は)文化大革命を未成年期に乗り越えた世代の姿勢が反映されたものなのか」と疑問符をつけるが、「アヘン戦争と外国の侵略に立ち向かった世紀を乗り越え、いまや国家再生の歴史プロセスに踏み切った」と、民族主義大国への道を邁進し中華帝国への回帰を志向する近未来の中国を描き出している。

 それにしても、である。1人の人物が40年以上も北京との太いパイプを維持している。翻って我が国を思うに、デタラメな政治主導で“御用商人“を中国大使に送り込む無定見な民主党政権。確固とした歴史観を失った日本の対中外交・・・迷走一途・前途暗澹。《QED》