樋泉克夫教授コラム

 【知道中国 806回】              一ニ・九・念一

 ――「暇潰し」と「婆やの教え」から「反日暴動」を考える
                     
 「九・一八」が終わって、案の定、北京当局は「打ち方止め」の方向に転じたようだ。おそらく現在の社会に不平不満を持つ数多の暇人を煽動した勢力は、暴動の広がりに危うさを感じたのだろう。このまま放置していたら暴動が拡大し、禍が自分の方に向かってきかねない。中国人が自賛する「中華数千年の悠久の歴史」は、強大な王朝が凄まじいばかりの農民大衆の暴動によって崩壊する姿を教えてくれているではないか。

 ところで20世紀中国の代表的な英語の使い手とされる林語堂は、1935年にニューヨークで発表した『中国=思想と文化』(講談社学術文庫)の中で、「中国人は有り余る暇を潰す名人である」とし、「蟹を食べ、お茶を飲み、京劇を楽しみ・・・・高鼾をかく」と60種ほどの暇潰し方法を列記している。その40数番目に「日本人を罵倒し」と挙げる。どうやら反日運動は、彼らにとって伝統的な暇潰しの一種でもあったということか。

 1990年代初頭、映画『さらば我が愛/覇王別姫』を引っ提げて世界の映画界に衝撃的デビューを果たした映画監督の陳凱歌は、自らの青春を回想した『私の紅衛兵時代』(講談社現代新書)の冒頭で、「昔から中国では、押さえつけられていた者が、正義を手にしたと思い込むと、もう頭には報復しかなかった。寛容などは考えられない。『相手が使った方法で、相手の身を治める』というのだ。そのため弾圧そのものは、子々孫々なくなりはしない。ただ相手が入れ替わるだけだ。おばあさんは目に一丁字もなかったが、幼い子供にこの明快な道理を教えてくれた。彼女の目の確かさと、見識のほどが知れよう」と綴っている。

 幼かった陳凱歌に「この明快な道理を教えてくれた」のは、彼の家で働く「婆や」で、彼女は「かつては(清朝の)貴族だった」そうだ。1950年代半ばの北京でのことである。

 林語堂の視点に立てば「暇潰し」ともいえる今回の反日暴動だが、一面では「押さえつけられていた者が、正義を手にしたと思い込」んだからこそ暴徒化したということだろう。  

 共産党政権に「押さえつけられていた者が」、愛国無罪という「正義を手にしたと思い込む」。「もう頭には報復しかなかった。寛容などは考えられない」。頭に血がのぼってしまった、ということだ。暴動はエスカレートし、いずれは「相手が使った方法で、相手の身を治める」段階に進む可能性はなきにしもあらず。だが、奈何せん「相手」が悪すぎた。暴動・謀略・奇略・奸智・組織力・凶暴性では、敵うわけがない。

 ところで今回の暴動で、漢字は厄介極まりない文字だということを改めて痛感した。しょせんは同じ漢字だから同じ意味だろうと思うから、彼らが持つプラカードや横断幕に「消滅倭寇」「殺光小日本」「中国人憤怒了」「促政府出兵釣島」「反日怒火席巻全国」などの刺激的な文字が並んでいると、一般の日本人は度肝を抜かれアタフタと浮き足立つ。日本人を「倭寇」やら「小日本」などと蔑称し、皆殺しを叫んでいる。

 中央政府に「出兵」まで求める。「反日怒火」は全国を席巻し、日系スーパーが略奪に遭っているではないか・・・だが、白髪三千丈という言葉を思い出してみよう。暇つぶしの景気づけ。より刺激的な表現に踊り、より過激に騒いでいるだけ。同じ内容でもロシア語やらヴェトナム語で書かれていたら、意味不明。ならば日本人の反応も大いに違っていたはずだ。

 反日運動は彼の民族伝統の「暇潰し」であり、「押さえつけられていた者」による共産党政権への報復と考えてみることも必要だ。なによりも、うろたえたらオシマイだ。《QED》