樋泉克夫教授コラム

【知道中国 815回】              一ニ・十・仲四

 ――摩訶不思議・・・台湾の王一族と廈門

 ホテルの部屋に置いてあった「福建日報」を手にする。発行元は中共福建省委員会。つまり福建省では最も権威のある新聞である。いわば、同紙が報じるところが福建省の最高権力である中共福建省委員会の公式見解ということになるわけだ。「人民日報」と共産党中央と同じ関係と思えば間違いない。新聞とは所詮は公式宣伝機関であり、党の喉と舌だ。

 「福建日報」(9月28日)の1面中央右寄りに大きく「蘇樹林会見台塑集団総裁王文淵」とあった。蘇樹林は福建省でNo.2の権力者である省長で、台塑集団とは台湾最大の石化企業集団の台湾プラスチック集団のこと。台湾プラスチック集団の創業者で「台湾の松下幸之助」と呼ばれた王永慶に従って集団拡大に努めてきたのが三番目の弟の永在だが、その永在の第一夫人との間の長男が王文淵である。

 些かというか、なんともというか、ともかくも複雑な人間模様だ。王永慶は第一夫人との間に子供はなく、第二夫人との間に文洋と文祥の二人の息子を持った。ついでにいうなら第三夫人との間には養女を含め娘だけが5人。永在もまた兄に倣って艶福家である。

 90年代のことと記憶するが、文洋は不倫スキャンダルが原因となって父親の永慶の逆鱗に触れ、勘当処分を受けている。そこで台湾プラスチック集団の後継レースから脱落したともみられていたが、まさにドッコイ。転んでもタダでは起きない。やがて上海に現れ、江沢民前主席の長男である江綿恒と合弁で半導体基盤工場を立ち上げてしまった。90年代末のこと。もちろん共産党トップと台湾最大の企業家双方の息子(これも太子党だろう)が結びついたというより、双方の父親が息子をダミーに結びついたと考えるのが“常識的判断”というものだろう。

 話は横道に逸れてしまったが、横道ついでに付け加えると、台湾で『不可能的接触 扁江通訊実録』(華文網・狼角社)という本が出版されているが、そこには王永慶と江沢民の双方を結びつけたのは、現在の馬英九政権下で囹圄の暮らしを強いられている元総統(2000年~08年)の陳水扁であり、陳水扁にとっては総統選初出馬となる00年春の選挙に当っての資金の一部が江沢民から出されていたと記されている。王と江と太子党2人――4人の間で取り交わされたとされる数多くの文書の実物なるものが“鉄の証拠“として収められているが、著者は女性立法委員(国会議員)。やはりデッチあげ臭がプンプンだが、かくも手の込んだ告発本を出版するとは。台湾政治もまた魑魅魍魎の世界。不可解千万である。

 話を新聞記事に戻すと、王永慶の死後に台湾プラスチック集団の経営権を継承した王文淵と福建省長との会見において、「我々は台湾プラスチック集団の福建における発展のために優良な行政サービスとより良い投資環境を提供し、互利双贏(ウイン・ウイン)の関係を築きたい」と発言した省長に対し、これまでの福建省当局が台湾プラスチックに対して与えた多大な便宜に感謝しつつ、文淵は「福建における投資比率をさらに拡大し、産業の分野で福建の経済社会建設により多くの貢献を行いたい」と語っている。

 本省人企業家である王一族が、なぜここまで福建省にこだわるのか。入れあげるのか。その淵源は、89年の天安門事件直後の王永慶の北京極秘訪問にある。じつは台湾における環境問題でさらなる事業拡大はムリと踏んだ彼は活路を大陸に、それも経済特区となった廈門の海滄地区に求めた。広大な敷地面積を誇る海滄地区に70億ドル規模のナフサ分解プラントを建設する計画をぶち上げ、鄧小平と直接交渉を進めようとしたのだ。

 かくしてホテルでの朝食も早々に切り上げ、肝心の海滄地区見学に向かった。《QED》