樋泉克夫教授コラム

【知道中国 816回】             一ニ・十・仲五

 ――もう“寝言”は聞き飽きた

 10月13日の「産経新聞」一面左上に置かれた大阪大学の坂元一哉教授の「中国を『好ましい方向』に」(「世界のかたち、日本のかたち」)には苦笑を禁じえなかった。この“提言”によって高圧的な態度をエスカレートさせる一方の「中国を『好ましい方向』に」転換させることが出来たら、誰も苦労はしないだろう。

 先ず坂元は昭和26(1951年)年の朝日新聞記者の「中共(中国共産党政府)の問題をどうごらんになりますか」という質問に対し、吉田茂が「中国国民全体の生活を経済的によくすることによって、また中国における民主主義、自由主義の復興が計られることになって、この国全体が国民の気持ちを通じてわれわれの好ましい方向に傾いて来るようなことを考えている」と応えたことを掲げ、「これからの日本の中国政策は、引用した吉田の発言のなかにもある、自由主義や民主主義といった普遍的価値の大切さを、あらゆる機会を通して中国国民に訴える。そういうものであるべきだと思う。とくに日中両国民が『自由』という価値観を共有することは、長い目で見て、経済発展がもたらす日中の摩擦を緩和し、『国民の気持ちを通じて』、中国を日本に『好ましい方向』に変えるための必要不可欠な条件になるだろう」とする。 

 さらに「中国にもっと言論や報道の自由があれば」、日本批判は「かえって増すかもしれない」が、「中国国民が政府とは異なる見解に自由に接し、事実関係を知ることができれば、中国政府もいまのような品位を欠く、危険な言動には、さすがにブレーキをかけざるをえなくなるのではなかろうか」と結んでいる。

 坂元は自らの主張の論拠に「吉田は戦前、外交官として長く中国に勤務した。その経験から」としているが、吉田の見解は明らかに間違いだ。「中国における民主主義、自由主義の復興が計られることになって」というが、歴史的・客観的に見て中国に「復興」といえるほどの「民主主義、自由主義」が、かつて存在しただろうか。因みに『岩波 国語辞典』は「復興」を「一度衰えた(こわれた)ものが、再び盛んに、また整った状態になることをいう。またそうすること」としている。もっとも台湾に逃れた後の蒋介石政権は「自由中国」を標榜していたが、その「自由中国」には自由も民主主義も皆無だったはずだ。

 やはり現時点で考えるべきは、吉田の発言云々ではなく、なにが北京をして「いまのような品位を欠く、危険な言動」を繰り返させるのか、であろう。その根本を不問にしたままで、「自由主義や民主主義といった普遍的価値の大切さを、あらゆる機会を通して中国国民に」対して百万回訴えようと、糠に釘、のれんに腕押しでしかない。

 大統領当時のカーターだったように思うが、かつて「普遍的な価値」として人権を訴えた時、当時の最高実力者の鄧小平が「中国の人権は人民にメシをたらふく食べさせることだ」と傲然と言い放ったことを思い出すがいいだろう。「普遍的価値」は中国人を従わせるための錦の御旗でもなんでもないということを、深刻に知るべきだ。

 彼らはアヘン戦争惨敗以来の屈辱を晴らし、その時から希求し続けてきた“富強の中国”を手にしたとの自信を持った。日本が単独で「中国を『好ましい方向』に」導こうとする力は、残念ながら現時点では持っていない。もしあるとするなら、経済関係を根本的に見直すことだろう。対中大戦略と臥薪嘗胆という覚悟が、いまこそ求められている。《QED》