樋泉克夫教授コラム

【知道中国 827回】              一ニ・十一・仲五

 ――おやおや、またまた“寝言”ですねッ

 大阪大学の坂元一哉教授にも、ましてや「産経新聞」にも“含むところ”は全くない。ただ荒唐無稽なバカ話だけは、もう、そろそろ打ち止めにしてもらいたいだけである。

 坂元教授は、11月10日付けの1面に掲載されたコラムの「分裂しつつブレない米外交」(「世界のかたち、日本のかたち」)で米大統領選を取り上げ、過去4年間のオバマ政治を振り返り、「分裂したままの米国」は「世界政治における米国の力を制約するだろう」とする。だがオバマとロム二ー両候補による討論会を持ち出しながら、「外交政策には基本的な差がない」し、「どちらも世界を指導する米国の意志を明確にしていた」。そこで「国内が分裂しても、いや分裂するからこそ、対外的にはまとまる」と評価し、「日本のような同盟国には安心できるところだし、また学ぶべきところでもある」と結ぶ。

 どうやら坂元教授は民主党のデタラメ外交を批判すべく、政権が交代しようが、「国内が分裂」しようが、国家としては外交政策に一貫性と継続性が必要であると主張したいらしい。だが、それは常識。今さら「学ぶべきところでもある」などとゴ教示給わるほどのことでもあるまい。問われるべきは、坂元教授が「国内が分裂しても、いや分裂するからこそ、対外的にはまとまる」と評価する米国外交が、果たして「日本のような同盟国には安心できるところ」なのか。いや、より現実的で歴史的に考えるなら、そのように坂元教授が看做す米国外交が、それゆえに正しい結果をもたらすか否か――であろう。

 坂元教授は「世界を指導する米国の意志」を、いったい何時頃からのことと想定しているのか。明確には示されていないが、「日本のような同盟国」といっているところをみると、日米安保条約締結以降ということになりそうだ。さて、それなら40年前の72年に突如として降って湧いたように起こったニクソン大統領の北京訪問を如何に捉えるべきか。

 一連の電撃的な米中最高首脳会談の段取りをしたキッシンジャーの回想録には、当時の米国内は対中政策をめぐって分裂していたことが記されている。だが大統領は「世界を指導する米国の意志を明確にしていた」からこそ、勇躍と北京に乗り込んだのだろう。とはいえそれは「日本のような同盟国」にとって突然すぎ、その後の対中外交を掣肘するという大きな禍根を残す。不意打ちを喰らった当時の佐藤政権は態勢を整える間もなく周章狼狽し、続く田中政権は見切り発車して対中国交正常化に闇雲にのめり込んでいった。いわば当時のホワイトハウスが「世界を指導する米国の意志を明確にし」ようとしたゆえに、「日本のような同盟国」をいまなお悩ませ続けているわけだ。もちろん、「子々孫々にわたる日中友好」という外交的詐術から依然として覚醒しない日本側にも、問題は大有りだが。

 歴史を少し遡ってみたい。日中戦争から太平洋戦争時、蔣介石と毛沢東に対する評価に典型的にみられるように米国の対中政策は分裂していた。米国は100万余の日本兵を中国戦線に足止めさせることで太平洋方面での日本軍の動きを封じようと、中国戦線米軍総司令官兼蔣介石付参謀長を派遣した。その1人のスティルウエルは蔣介石を無能とこき下ろし、毛沢東に期待した。後任のウェデマイヤーは反対に蔣介石を有能と賞賛し、毛沢東を切り捨てた。最終的に当時の米政権は国民党と共産党による連立政権の樹立を求める。つまり「国内が分裂しても、いや分裂するからこそ、対外的にはまとまる」のだが、「世界を指導する米国の意志を明確にし」た結果、毛沢東政権樹立となってしまった。かくて以後の米国は対中外交にきりきり舞い。「世界政治における米国の力を制約」させられたはず。  

 坂元説を信奉していたら、「日本のような同盟国には安心できる」わけがない。《QED》