樋泉克夫教授コラム

【知道中国 828回】               一ニ・十一・仲七

 ――両岸に割かれた庶民の悲しさ・・・台湾人の哀しさ

 『家有親人在台湾』(万華茹 天津人民出版社 2012年)

 「海峡両岸で最初に出版された普通の中国人家族史。1つの家族、互いに望み見る対岸、三代の哀歓。この歳月を、人々はどのように過ごしてきたのか」と記された表紙のことばが象徴するように、この本は1949年という歴史的激変に遭遇し、思いがけなくも台湾海峡を挟んで往来を厳禁されたままに別々に人生を送らざるを得なかった人々――そんな運命に翻弄されながら生き抜いた著者の一族三代の姿を通じ、漢族が背負わねばならず、また避けることのできない国共対立という冷酷非情な政治の現実を描き出す。

 共産党は農民の支持をえるため、「政治的賎民の筆頭」と位置づけた地主から強奪した土地を農民に分配した。これを土地改革と呼ぶが、その実態は凄まじい限り。「大抵は地主を縄で縛り上げ、衆人環視の輪の中に立たせる。誰もが地主を指差して罵り、地主が犯した数限りない罪の清算を求める。これを『控訴』という。口に含んだ水を吹きかけ、髪の毛を引っ張り、服を破るが、この程度では控訴が終わるわけはない。

 拳や棍棒で激しく殴る。闘争が続けば、その地主はもはや死んだも同じだ。日頃から徳を積むことのなかった悪徳地主はメチャメチャに打ち据えられ息絶えるか、闘争が一段落するやたちまち射殺されてしまう」のである。

 革命とは、階級闘争とは・・・地主を嬲り殺すこと。ならば地主にとっては生き地獄。漢方医である著者の祖父は「控訴」の実態を知るがゆえに、早々と土地を差し出し、共産党政権下でも善良な漢方医として生きる算段をした。一瞬にして財産を失くしたことに腹を立てた祖母は祖父を詰る。2人の息子――著者にとっては大伯父と伯父――は国共内戦の成り行きや、共産党の実態を知ろうと町に向かったが、これが運命の分かれ道だった。

 大伯父も伯父も国民党に勧誘・拉致され、互いが知らぬ間に前後して船に乗せられ、気が付いたら台湾だった。大伯父は兵士となり、やがて除隊して警察官となり台湾娘と結婚を約束したが、貧乏を嫌い彼女は台湾人お金持ちの許へ。以後は独り身の生活だ。周囲からも望まれて幼馴染みと結婚したばかりの伯父は、新妻の妊娠も知らずに台湾へ。国民党軍で出世した彼は、ある日、台北の街角で偶然に出会う。大陸で別れて以来の出来事を語り合い、故郷の両親を想い、国民党政権下の台湾での行く末に思いを馳せる。

 やがて1978年、蔣経国政権が台湾住民の大陸への「探親(里帰り)」を許可するや、49年に絶たれた台湾海峡を挟んでの往来がはじまる。台湾からの手紙が故郷に届く。帰郷し、両親への不孝を詫びようというのだ。だが、それは新婚直後に別れたまま生死も判らず、女手一つで娘を育て、度重なる政治闘争の激流で死ぬほどの苦しみを味わってきた伯父の妻にとっては残酷に過ぎた。あれほどまでに恋焦がれた夫と共にやってきた台湾の妻は高価な衣装で着飾り余りにも若かった。夫も若々しく輝いて見えた。それに引き替え自分は、人生の苦労を一身に引き受け、余りにも婆臭く、みすぼらしく、《女》ではなくなっていた。

 「みんなは知らないだろうが、俺たちは台湾で外省人と呼ばれている。だが帰郷すれば台湾人だ。いったい俺たちは何処の誰なんだ」と大伯父が慨嘆し、伯父は「全中華民族の教育水準が上がりさえすれば、民智は啓け、民衆は豊かになり、怨讐は消える」と。  

 「怨讐は消える」と静かに呟く著者だが、外省人に蹂躙され続けた本省人の痛みや恨みに心を配ることは一切ない。大陸=外省人の身勝手さに苛立ち、呆れるばかりだ。《QED》