樋泉克夫教授コラム

【知道中国 835回】              一ニ・十二・初八

 ――「無知と無知に基づく善意こそ最大の罪だ」

 『第二次大戦に勝者なし』(A・C・ウェデマイヤー 講談社学術文庫 1997年)

 ドイツ留学経験を持ち、中佐時代の1941年にルーズベルト政権下で「勝利の計画」と呼ばれた戦争計画を立案した著者は、「日本の暗号解読の結果、ルーズベルト、スターク海軍作戦部長、そしておそらくはマーシャル陸軍参謀総長もまた、十二月七日(日本時間の八日)決行予定の日本軍の真珠湾攻撃について、事前に警告されていたと解さねばならない」と結論づけている。そして、「われわれはドイツを破壊し、日本を打ち破る以外に明確な目的を持っていなかった」だけでなく、「戦後のことを考慮にいれずに、軍事的勝利を目指して戦った」。だからこそ、「新しく、さらに危険な敵を育てあげる結果となってしまった」と、ルーズベルトとチャーチルという米英両国指導者を激しく糾弾する。

 「アメリカ参戦を正当づけるため、ルーズベルト大統領がつぎつぎと行った策略」と「チャーチルの三寸の舌先」との相乗効果によって最も利得を得たのはスターリンであり、共産主義勢力だった。であればこそ筆者は、日本の真珠湾攻撃直後に発表されたエール大学のN・スパイクマン教授の「ドイツと日本を抹殺することは、ヨーロッパ大陸をソ連の支配に任せることになろう」との主張に全面的に賛同するのである。

 欧州戦線における対独進攻の布陣を終えた連合軍は東南アジア司令部を設置する。44年初頭に同司令部参謀副長としてニューデリーに着任した著者は、同年10月末、解任されたスティルウェル将軍(この本では「スチルウェル」と表記)に代わって中国戦線米軍司令官兼蔣介石付参謀に就くことになるが、前任者とは全く反対の立場に立つ。

 前任者は「蔣介石を苦力階級の人物であるとし、高慢ちきで信用するにたらず、また、とうていいっしょに戦争をやっていける相手ではない、ときめつける」。だが、著者は「小柄で、上品で、りっぱなからだに、人を射すくめるような鋭い黒いひとみと、人をひきつける微笑をうかべた蔣介石から、強い印象を受け」、「ソ連共産主義は“国民政府の倒壊によって生じる真空につけこむ勢力”となるので、アメリカとしては“蔣介石とその政府を支援するしか道はない”ことを認識する必要がある」とした。

 「中国共産主義者は中国にとって、最後の、かつ最良の希望を託しうるものであるというスチルウェルの意見」を完全に排し、「日本が降伏するまえも、降伏したあとも、中国共産党軍がきわめて有利な立場に立っていた」のは、「彼らが中国国民の運命に無責任であったからである」と記している。前任者が蛇蝎の如く嫌っていたフライング・タイガー義勇空軍司令官に対しては、「眼前にみるシェンノートの公正な態度は、スチルウェルがシェンノートを酷評していた私の記憶とは、まるっきり反対であった」と、好感を寄せる。

 ここで注目しておくべきは、著者が大統領周辺、国務省、さらに在中米大使館における対中政策実務者のうちの枢要なポストを占めていた人々が「中国の共産主義者に共鳴していたことは、アメリカは国民政府のかわりに共産党の連中を支持すべきであるという、彼らの報告書や勧告にはっきりと示されていた」と記している点だろう。

 日中戦争は日米戦争であり、日本とアメリカの政権中枢にコミンテルンの強い介在を認めざるをえないようだが、じつはウェデマイヤーの祖父はマルクスやエンゲルスの同志で、アメリカに亡命した後、第1インターの下で活動したそうだ。なにやら浮かび上がってきた複雑怪奇で容易には解き難いような人脈図式・・・しんどい解読作業になりそうだ。《QED》