樋泉克夫教授コラム

【知道中国 836回】             一ニ・十二・十

 ――“越後屋”と“殿サマ”の跳梁跋扈が止まないワケ

 『中国大商三十年罪与罰』(杜亮・劉建強・何伊凡 鳳凰出版社2011年)

 12月に入るや、中国から汚職官僚摘発のニュースが報じられている。摘発されている幹部の多くが胡錦濤前総書記に近いとされる人物であり、摘発側のトップが習近平総書記と派閥系統が同じ太子党の王岐山党中央規律検査委員会書記――となると、毎度お馴染みの「反腐敗」を口実にした権力闘争ともいえないこともない。

 思い起こせば共産党は、建国直後の50年11月から翌52年8月にかけ、官僚の汚職と依然として残っていた資本家の不法行為を摘発するため、大掛かりな政治運動を全国展開した。これを「三反・五反運動」と呼び、党員幹部による汚職・浪費・官僚主義の「三毒」、資本家による贈賄・脱税・国家資材の横領・手抜き仕事とごまかし・国家経済情報の窃取の「五毒」に反対し、根絶しようとしたわけだ。以来今日まで、共産党は事ある毎に「反腐敗」運動を繰り返しているものの、一向に効果が挙がらないばかりか、腐敗は質量ともに拡大の一途だ。なんせ温家宝首相一族の隠匿資産が2200億円規模というのだから。

 それもそうだろう。世界第2の経済大国への大躍進である。中華帝国以来、貪官汚吏が横溢する「官場」と呼ばれる伝統官僚世界の土壌のうえに、権力と財力が一体化した共産党一党独裁体制が生んだ金権腐敗の仇花が“百花繚乱”と咲き乱れてしまったのだから。

 この本は改革・開放に踏み切った78年から2010年までの間に権力に寄り添いながらカネ儲けに励み、やがては犯罪者として抹殺されていった年広久、牟其中、禹作敏、褚時健、胡志標、唐万新、孫大午、陳九霖、鄭俊懐、顧雛軍、李経偉、戴国芳、張文中、龔家龍、黄光裕などの企業家としての人生を検証し総括しながら、彼らが犯した罪と罰とを詳細に綴っている。

 この本では企業家の「墜落史」を、国有企業経営者の不正・腐敗と私企業経営者による脱税・賄賂・非合法資金集めに大別し、個々の企業家の実例を挙げながら論じている。それだけに興味尽きない記述が続くが、それらを総括して指摘できるのは、彼らの“企業犯罪”の根幹に「中国の持つ法治環境の欠陥」が認められるということだ。

 先ず体制面では、企業経営に際して「規則のない灰色の領域」において、権力者の“鶴の一声”が規則となってしまう点が挙げられる。規則があったとしても、抜け道を利用する。そこで企業家は様々な“関係”を辿りながら公安や税務などの政府関係部門に急接近し、権力との間で強い「同盟」を結ぼうとする。

 これを、企業家は「市場」ではなく「市長」を求めるという。因みに「市場(shichang)」と「市長(shizhang)」で中国語音は近い。

 実際面をみると、企業関連の法体系は徐々に整備されているものの、多くの法律は制定過程で“関係各方面”からの様々な圧力を受ける。そこで執行・監督上の責任が曖昧になり不明となる。であればこそ、執行者の“恣意”が加わり、法律が枉げられてしまう。

 最後に文化面からみるなら、民衆も公権力執行者も依然として法治の信念に著しく欠けていて、企業家は一切の法律や規制をブチ破ってでも権力とのズブズブな関係を築き、超法規的企業経営を展開することを求める。

 「現在の政商結合情況を打ち破れ」「ビジネスを正す前に官を正せ、官を正せばビジネスは公正に行われる」と著者は主張するが、それを“百年河清を俟つ”といいます。《QED》