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樋泉克夫教授コラム
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【知道中国 869回】 一三・三・初二
――mens fada in corpora
salop・・・狂った精神は汚れた身体に宿る
『ロラン・バルト 中国旅行ノート』(ロラン・バルト 筑摩書房 2011年) 記号論、構造主義で知られたフランスの哲学者・批評家の著者(Roland
Barthes:1915年~80年)は新左翼華やかなりし当時、フランス共産党に反対し、ソ連を修正主義と批判していた。我が国にも蔓延っていた無責任な新左翼にとっては、ゴ本尊サマだった。
1974年、そんなロラン・バルトが数人の仲間と共に、在仏中国大使館の招きに応じ、毛沢東思想原理主義を掲げた四人組が猛威を振るっていた文革末期の中国を旅行する。「現地の中国人との接触が持たれないように、旅行コースはあらかじめ決められ、添乗員・通訳が常に同伴する上に、参加者が各自費用を負担するという旅行計画であった」(「訳者あとがき」)そうな。4月11日から5月4日の間、上海、南京、洛陽、西安、北京と回っている。この本は、その間の旅行ノートだが、興味深い記述をいくつか・・・。
■林彪、事あるごとに利用されるスケープゴート。
■いつでもどこでも重要なのは、ただ官僚制(階級制度、区分)が日常的・全体的に再興しているという問題である。
■(ある工場で)日が照っているにもかかわらず、ここは陰鬱だ。1日8時間? 彼女たちは汚らしい。そして口を開かない。
■(同じく工場で)趙は言った:「昔、女性は家で家事を行う道具でした。現在(頭を仕事場の方に向けて)彼女たちは自由の身になったのです。お金のためではなく、解放のために、社会主義の確立のために」。
■趙のおきまりの格言:中国体操:身体と精神のため。わたしならmens
fada in corpora
salopと言う方が好きだ。/mens・・・の意味は「狂った精神は汚れた身体に宿る」
■感謝の常套句、過去の常套句。〔これは、貧しい者たちのテーマ〕。
■人民公社の責任者、かなり怪しい人物:真の指導者、責任者の振る舞い――それがおそらくは権威である
■襞のない国。風景は文化に仕立て上げられていない(土地の耕作を除いて):歴史を物語るものは何もない。・・・風景はだんだん素っ気ないものになる。味気のない国。/訳者は「cultureには「耕作」と「文化」の2つの意味がある」と注記する。
■すべてが中華思想。他国にも同様にさまざまな社会や村落がありうるという考えは全くない。民俗学はもみ消されている。比較研究は皆無。
■中華社会主義思想:すべては愛する公社、原始的な集産主義への嗜好。
■2人の若い労働者がいるテーブルにつく。彼らはとても清潔で、細い手をしており(《修理工》だろうか?)・・・ここの《労働者》は皆、細くて清潔な手をしている。
この中国旅行の10年程前、大躍進の飢餓地獄に苦しんでいたはずの中国に招待された日本文学代表団に参加した若き日の大江健三郎は、「僕がこの中国旅行でえた、最も重要な印象は、この東洋の一郭に、たしかに希望をもった若い人たちが生きて明日にむかっているということだ。・・・ぼくらは中国でとにかく真に勇気づけられた。・・・一人の農民にとって日本ですむより中国ですむことがずっと幸福だ、とはいえるだろう」と感涙に咽んだ。
毛沢東=共産党政治の詐術に、大江は「一人の農民にとって日本ですむより中国ですむことがずっと幸福だ」と見事に引っかかる。だが、同じ招待を受けながらもロラン・バルトは「細くて清潔な手」な《労働者》に疑念を抱く。新左翼とはいえ、さすがにゴ本尊サマだ。“眼力”が違う。それにひきかえ情けないのが大江だ。やはり目は節穴だった。《QED》
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