樋泉克夫教授コラム

【知道中国 870回】                    一三・三・初四

  ――「美しい未来への夢」がPM2.5の猛毒だったとは・・・トホホ

 『中国特色日語教育研究』(席衛国 陝西師範大学出版社 2012年)
 
 著者は西安外国語大学で日本語を専攻し、89年に卒業してからも一貫して中国においる日本語教育に従事してきた。この間、03年には九州大学大学院に留学し(もちろん日本政府提供の資金、つまりは日本国民の血税を使って)、「日本の国語と国文学研究に従事」(「著者簡介」)したそうだが、とにもかくにも「在日4年間の研究の結晶としてようやく・・・まとめ」た研究論文の集大成が、この本である。

 著者は膨大な資料と実地調査によって中国、および日本における中国人に対する日本語教育の実情を詳細に分析し、多くの問題点を挙げている。だが著者には失礼ながら、そんなことには全く興味はナシ。何よりも紹介したいのは、著者が研究資料として提示している中国で編集され、現に中国で使われている日本語教科書の内容だ。

 たとえば「中国の多くの地域の日本語教育機関(大学など)に採用された教科書」であり、「1990年に中国人日本語教師によって作成が開始された」という『新編日語』(第1冊)の「第13課 希望(会話)」を示すと、

  李:将来、日本に行きたいと思います。
 牧野:日本に行って何をするつもりですか。
  李:日本の経済を勉強するつもりです。
 牧野:大学院に入るつもりですか。
  李:はい、ぜひ大学院に入りたいと思います。

 1990年代初期といえば日本経済のバブルが破裂したとはいえ、日本の経済規模は中国を遥かに凌いでいただけでなく、日本経済は世界経済に対し依然として大きな影響力を保持していた。であればこそ、当時は日本に留学して日本経済を学ぶために日本語を学ぼうというマジメな学生もいたわけだ。

 ところが半世紀ほど遡った1963年に出版された『日語会話』(周浩如編 商務印書館)では、日本語学習の目的に“過激な政治性”が込められていることが判る。たとえば天安門広場における2人の女性――中国側招待者と日本からの客――との会話だ。

 日本人:天安門広場を見ていると、私にも何か未来への美しい夢が生まれてくるようですわ。
 中国人:その美しい夢を現実のものにするために、私達ぜひとも永遠の世界平和を勝取らなくてはなりませんわね!
 日本人:ほんとうにそうですわ!中国の皆さんの平和を守る固い決意は、私達こんどの旅行でほんとによくわかりましたわ。天安門の赤い壁に“中華人民共和国万歳”と並んで書かれた“世界人民大団結万歳”のスローガンは、私達の一番印象に残る言葉の一つです。

 そこに、エプロンをつけた子供たちが手を繋いで歩いてくる。

 日本人:この天安門広場全体が、新しい中国の社会主義建設の力強い叙事詩だとしたら、あの楽しそうな子供たちの列は、新しい時代の抒情詩ではないでしょうか!
 中国人:ほんとうに詩人でいらっしゃいますわね!おつしゃること同感ですわ!
 共に日本語学習を目指しているとはいうものの、60年代初期は「永遠の世界平和を勝取」ることの意義を日本人に教育するため。30年ほどがすぎた90年代初期は日本経済を学ぶため。それから20数年後は金満経済。天安門広場はPM2.5の高濃度猛毒霧に咽ぶ。《QED》


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