樋泉克夫教授コラム

【知道中国 893】                     一三・四・二十
 
 ――「かくも広い土地をよくもこう万遍なく開墾したものだ」(長谷川の下)

 「哈爾賓直行」(長谷川如是閑 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 さらに進んで長谷川は、彼の眼に映じた現地の日本人の振舞いに疑問を呈している。満蒙が「支那の土地」であるのか否かの議論は一先ず措くとして、長谷川の説くところを読み進めてみたい。

 「日本人は、支那の土地で事業をしていても、殆ど自分達が支那の中で生活しているのだということは全く忘れて――寧ろ初めからそんな風に考えないで――日本が支那に延長したかの如く考えて、鉄道関係の人達でも、鉄道に沿うて、元来細長い日本の更に細長く延長した日本国の延長地域に閉じ籠もって、その左右の支那及支那人を、まるで外国及外交人のように見ているらしいという。・・・苟も支那の土地で、支那人のために、又支那人を得意先として事業を営んでいるというならば、たとい用事はかくとも、駅の人々位は、その駅と同名の都会にもう少し親密になっていてもよさそうなものだと私は思いました」と、現地社会に溶け込もうとしない日本人の生活ぶりに苦言を呈している。かくて、
「『外国に日本を作る』という古代的の侵略的態度を日本人は満州でだけは好き勝手に振舞っていることが出来ると思っていると、近い将来に飛んだ目に逢わねばなりません。

 「(日本人は)もっと社会的な態度をもって進出しなければなりません。
 「その土地に自分の生活を打ち立てようとする人々は、何よりも先ずその土地に関心をもたなければなりますまい。満州で生活している日本人には全くそういう関心が欠けているように思われます。

 「支那大陸に於ける人間社会に貢献する事業であるならば、全体的に支那という土地及び支那人という人間に最も深い関心をもたねばなりますまい」
――このように綴った後に、「これでは、とても、漢民族の満蒙進出と競争の出来る筈はありません」と結論づけている。

 恰も現在の海外における日本人社会を髣髴とさせるような長谷川の“忠言”だ。確かに長谷川は大室幹夫のいう「シナ化sinicization」という現象を的確に捉えていた。だが、漢民族の性向に対する考察を怠っている。日本人に「郷に入らば郷に従え」と忠言したいのだろうが、漢民族は「郷に入っても郷に従わない」、いや「郷に入ったら郷を従わせる」のだ。だから始末に困る。加えて「一年百万にも上る」ほどの圧倒的な人の洪水があればこそ、「満州一帯に、中央支那の文明を拡大させて行きつつあ」るわけであり、日本人が「漢民族の満蒙進出と競争の出来る筈は」ないことに、長谷川は一向に気づいていない。

 ハルピン探索を案内した満鉄経営の学校を卒業したばかりの少年にロンドンやニューヨークなどの生活状態や生活費や旅費などを質問されると、長谷川は「私は此の少年の話ぶりや質問ぶりが同じ年頃の日本人のそれに比べて、比較にならないほど大きなスケールを持っていることを感じ」、「支那人のこの大きいスケールを日本の尺度で計るのが、すべての間違いの基です。今この大きい満州を経営していると考えている日本人は、恐らく支那の此の一少年にも笑われるでしょう」し、「秦始皇帝だの成吉思汗だのという大きい実物を沢山にもっていても、少しもそんなものを尊敬しない支那の大衆は」、日本人的な大スケール構想など「鼻であしらいましょう」と、「日本の尺度で計る」ことの危険性を指摘する。

 「支那人と日本人との太刀打ちに於いては」、「いつもタジタジたるを脱れない所以」を指摘し、日本の満蒙経営の問題点を説く長谷川だが、やはり日本人だった。最後にピシャリと、「文字通りの太刀打ち――即ち戦争――ならば日本人はビクともしない」。《QED》




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