樋泉克夫教授コラム

【知道中国 902】                      一三・五・初八
 
 ――「いかになんでも不愉快になって了う」(里見の下)

 『満支一見』(里見弴 春陽堂 昭和8年)

 里見の乗った汽車は「これから北京へはいるわけだが、一等車の車体そのものは、東海道線のよりはよっぽど大々としているくらいなのに、例によって掃除の不行届きから、どこもかの埃ッぽくざらついていて、乗り心地から云えば日本の三等車以下だ」。そこで「成程、こういう客車から、満鉄のへ乗り換えたなら、外国人も、日華両国の文化の相違に、一応は目を睜るかも知れない。無論それは、ほんの一応の話だが」と考えた。

 やがて「北京の城壁が見えだしたので、窓外に目をやっていると、いずれ城外に住むくらいの下層民だからだろうが、実に驚くばかり、野糞中の点景人物が多い」。「あすこにも、こっちにも、あれ、まだあの先にも、という風で、とてもすっかりは指し尽くせないくらいだ」。

 かくて里見は北京の野糞について考察する。
 「風のあてない城壁の陰などで、長閑な日射しのなかで、悠々と蹲踞みこんでいるのを、遠くの車窓から眺めるのでは、決して汚い感じではな」いというのだ。「成程、人間は、食って、寝て、ひる動物だ、という風な、元始的な、且恒久的な、誠に暢々としたいい気持になる」と野糞を“好意的”に捉えた後、「話の序でだから書くが」と無順炭鉱での経験を綴っている。

 「こういう点景人物の一人が残して置いた品物で、直径二寸ちかくもあったろうか、とても人間業とは思えないような見事なやつを道のべに発見した。その時は黙っていたが、後日志賀に話しかけると、彼もまたその偉大さに一驚を喫したものとみえて、ああ、知ってる、知ってる、とすぐに頷き返したことがある」。

 かくて、「何はしかれ、中華民国人の野外脱糞は、平原の遠景に点じて古雅の興趣を増すと雖も、想いひとたび闇夜その遺留品を踏んづけざらんを保せざるに及べば、転、悚然たらざるを得ないものと云うべきである」と、結んでいる。

 おそらく「満支一見」の間に、里見も志賀も、「闇夜その遺留品を踏んづけ」たことだろう。闇夜の北京の街角で、「その遺留品を踏んづけ」て「悚然」とした志賀直哉・・・「小説の神様」も、生牡蠣やら「中華民国人の野外脱糞」の前には顔色なし。じつに無力だ。

 汚さに呆れ返っていた里見だが「北京の西郊にある監獄を見せて貰いに行」き、思いもよらない感想を漏らす。「少なくともこれだけ清潔な場所は、支那じゅう探してもほかにない、と云っても、決して過言ではないのだ」と感歎する。それというのも、「ここばかりは、痰唾や手洟の跡が絶無なのだが、そんなところは、ほかに二つともないと云っていい。往来の舗道の上はもとよりのこと、料理屋の床板だろうと、旧の宮殿の石廊だろうと、苟くも人が足を踏み入れる限りのところで、それがない筈はない」からだ。

 さらに里見は「やるそばから蒸発して了うような、暖い時候に行き合わせた人には、或いは私の言葉が大袈裟に聞こえるかも知れないが」と断わったうえで、“考察”を続ける。

 「丁度厳寒の候で、ピシャリと四方へはねた形をそのまま、楓の葉でも撒き散らしたように、舗道一面に凍りついている痰と洟との跡には、誰でも初めは一驚を喫するに違いない。それが、心なき下々の者だけの仕草かというと、決してそうではなく、堂々たる大官が、ひとを訪問して行った先でも、坪何百円の絨毯の上へ、平気でペッとやるそうだから、跡こそ残さね、支那全国、人跡の至る限り、痰、洟の汚れにそまない地面はないわけなのだ」が、監獄にはない。「思えば不思議な話」である。嗚呼、「痰唾と手洟」よ。《QED》


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