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樋泉克夫教授コラム
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【知道中国 903】 一三・五・十
――「いかになんでも不愉快になって了う」(里見の下々)
『満支一見』(里見弴 春陽堂 昭和8年)
監獄ときたら、やはりモノの順序として次は骨董品ということになろうか。ある日、里見は骨董品街で有名な瑠璃廠に出向いた。
そこで里見は、「もともと古道具屋で、売り手が支那人で、買い手が他国人と来たら、謂わば三拍子揃ったようなもので、吹っかける方があたりまえだ、と誰でも考えるだろうし、私もその点は重々斟酌しているのだが、ものには凡そ程というものがあるべきだ」と、覚悟の程を披瀝する。だが、そんな斟酌は吹っ飛んでしまった。
「・・・こっちで、三円ぐらいなら、と思って聞いた古時計を三百円と云ったり、十円までならば、と思う土中物を五百円と吹っかけたり、てんでお話にならない馬鹿値で、全く上顎と下顎のぶつかり放題、出たとこ勝負のあてずッぽうでやらかすのだから、いかになんでも不愉快になって了」った、というわけだ。
「値段は、いかに出鱈目でも、結局売り手の勝手で、文句のつけようはな」く、日本だって同じような事情だが、「あくどさに於て、気の長さに於て、自惚れの強さに於て、所詮比較にならないものがある」。加えて品物選びをする客に、まるで万引きでもするかのような猜疑の態度で応じる。その態度が「癪にさわること夥しい」。だから、「商売上手は支那人の国民性と云われるくらい、全世界に名だたるものだが、少なくとも瑠璃廠の古道具屋で吾々がうけた客扱いを以って云うなら陋劣至極なものだ」と結論づけた。
だからインチキ物をつかまされることも、暴利を貪られることも、だいいち買い物をせずに済んだのだから、「それを思えば、かしこの番頭さんたちよ、多謝! 多謝!」ということになるわけだ。
北京郊外への小旅行に出かける列車でのことだ、「通路一面、薄汚い支那人が座り込んでいようという有様で、全く足の踏みどもない」が、混雑の中を「背を押し、膝を起させて、纔に片足を容れるに足るだけの床を、次から次へと割り出して」先に進んだ。暫らくすると列車警護の兵士と別の兵士との間で座席争いがはじまり、里見の前に「六尺近い大男の、猛ったのが立ちはだかることになった。口角の泡は、文字通り霧を生じ、雨と変じて降りかかってくる。だんだんに身を退こうとすると、(案内者の)S氏が、二三人おいた彼方から手を振ってみせて、だいじょぶ、だいじょぶ、支那の喧嘩はどんなにひどくなっても、めったに手出しするようなことはないから、と宥めるように云ってくれる。――このうえ側杖をくってたまるもんじゃない」。
「支那の喧嘩というやつは、S氏が云う通り、成程手は出さないが、その代わりなかなか埒もあかず、発車間際から。かれこれ一時間も続いたろう」。里見にとって、喧嘩見物は暫しの退屈しのぎとなったらしい。
喧嘩が収まる頃合いを見計らったかのように、今度は客車の一角が厨房に化ける。
「客車のなかには、鉄製の、丈二尺あまりのストオヴがあって、寒さの心配だけは要らないのだが、そのあたりにいくらか身動きの余地が生じた頃から、一人の薄汚い支那人がちょこまかし始めたと思うと、忽ち化して、それは、竈となるのだ。棚の上からの箱からは、鍋が出る、包丁が出る、飯櫃が出る、葱が出る、籜包の肉が出る、卵が出る」。客車の一角が一瞬で厨房と化す。さすがの里見も、「手品使いの早業だ」と唖然・・・呆然。《QED》
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