樋泉克夫教授コラム

【知道中国 906】                      一三・五・仲六
 
 ――「こんなに広い支那に戦争がないのが不思議じゃありませんか!」(林の下)

 「秋の杭州と蘇州」(林芙美子 春陽堂 昭和8年)
 
 「用意の旅費も手薄」だった林は杭州で安宿に泊まる。そこで「馬桶と食卓と、ベットと長い枕と、凸凹の鏡と、これが私の泊った支那旅舎の構図だ」と綴る。

 そんな調度の宿に旅装を解き、「馬桶と同じ模様のついた洗面器で汽車の煤を落し、食卓の西瓜の種を割り、茶をすすり、馬桶の蓋を取って用を足す時、支那の屋づくりって、よくもまあこんなに便利に出来たものだと感心せざるを得なかった」林だったが、「蓋を取った馬桶の中には、おとつい出発たのか、昨日出発たのか、先客の放糞が、ゆらゆら浮いているのには、うんざりしてしまった」そうだ。

 洗面器と馬桶、つまり便器の模様が同じというのもどうかと思うが、便器の中に「先客の放糞が、ゆらゆら浮いてい」たら、林でなくても「うんざりしてしま」うはずだ。だが、その程度でうんざりしていては、中国での旅行を楽しむことなんてできやしない。もっとも楽しまなくてもいいというなら、それまでだが・・・。

 林の「うんざり」は、これからが本番だった。

 先ずは手洟である。「満州の方面ではそうでもなかったが、上海からこっちへ来ると手洟をかむ紳士? が多い。寺院の石畳や、樹の根本に、青洟の散っているのを見ると折角の古風な尊さも一寸コッケイに見えて愉快だ。極端に個人主義の彼達には、こんな玩具のような遺物は必要ではないかも知れない。崩れるままにと云った感じの、手の行き届いていない名所旧跡を見ると、此建物たちも風が吹けばガラガラ崩れてしまいそうに思えた」。

 次いで「ヴェニスのように水路が縦横に開けている」杭州の街でのことだ。「櫛型の白い橋が円く田の中に浮き上がっており、辮髪の船頭の骨々した顔が、上山草人に似ていたり、清からざる水路で、米や青菜を洗っている娘達や、河上の船の中では。子供が乗り出して茶碗と箸を洗っている」。「日本の絵描きが沢山行き、一寸いいとこだと聞いていた」蘇州も敵わないほどの美しさを誇る杭州だが、「そのじきそばで、四五人のお上さん達が、言葉を豆のように弾かせながら、馬桶を洗っている。よく病気にならないことだと、支那人に聞くと、彼等は一切油や醤油で煮るから大丈夫だと言う」のであった。

 いまでも長江下流域の水郷地帯には、毎朝、家々の馬桶を集めて洗う商売がみられるようだが、やはり「一切油や醤油で煮るから大丈夫」とはいえないだろう。昨今の鳥インフルエンザ騒ぎであれ、根源的背景は不潔さにあるはずだ。彼らの衛生観念が“革命的”にでも改善されない限り、同じような現象は、まるでもぐら叩きのように発生し続けるに違いない。もっとも林が体験した頃に較べ、現在の高度経済成長下で贅沢に慣れてしまい、中国人が体質的にヤワになってしまっていると考えられないこともないようだが。

 あれやこれやと「うんざり」が続いた林だが、列車の旅は楽しかった。

 「三等車と云ったって、日本の三等車を考えちゃいけませんよ。窓に向いたベンチは、長い板の腰掛けなのだ。ドロドロに垢に光った窓と腰掛け、便所のにおいが、針のようにツンツンして、支那の三等旅行に、これ程、肩の張らない面白いものはなかった。車内も線路も乗客の捨てた色々のゴミが散乱し、石炭の屑を拾っている貧しい女や子供達、汽車の時間表は、一寸二三十分は狂ってしまうし、汽車が走ってくれるのが、しみじみスポーツ的で、走って行くのが不思議に涙ぐましかった」そうだ。

 やがて林は「夜の賭博大競走と、ハイアライHAIA-LAIが、とても恋しくなって、灯の暗い三等車に、私はわくわく胸を踊ら」せながら“魔都・上海”に向かうことになる。《QED》



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