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樋泉克夫教授コラム
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【知道中国 909】 一三・五・念二
――「営々と利に敏く立ち廻り・・・」(市川の下)
「紫禁城と天壇」他(市川三喜・晴子 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
北京から海外の華僑に目を転じ、「あの様に国外発展」ができる根拠を北京の貸本所に見出すとは、さすがに慧眼である。故郷や先祖や仕事を共にしない、つまり自己人ではないからこそ「無暗となんでもちょろまかす」。それというのも自己人でないなら、自分が生きて行くうえで益にはならないと考えるからだ。こういった思考回路を持つからこそ、ひとたび自己人ではないと看做したら、他国の領土であれ、「無暗となんでもちょろまか」して“有史以来の神聖な領土”と強弁して憚らないことになる。習近平の唱える「偉大な中華民族の復興」だって、同じようなものだろう。これを言い換えるなら、究極のジコチュー。
街を歩く市川の目には「『実現三民主義打倒日本帝国主義』『誓死不用日貨』『追奸商廃日貨』『廃領事裁判』『外交平等』『不忘済南惨案』等」のスローガンが飛び込んでくる。
「其『打倒日本』の看板の下を毎日ブラブラ一人散歩すると云えば、無神経らしく聞こえるが」と断ったうえで、市川は「今は丁度排日の息の抜けている時で、ワーッと雷同的に騒いで居ない時には、全然根本から培われた思想でなく、国民的観念と縁の遠い人々だけに、何の不安もないのだ。其国民的色彩の薄さと民族的迫力の強さは鮮明なもので」と、「国民的色彩の薄さと民族的迫力の強さ」を明確に分けた後、「支那を老大国と感じる度の強いにかかわらず、老大国民としての末期的衰弱の影は無く、悠久に年寄らぬ不老の民族らしい強さとしなやかさをのみ見る」のであった。
このように一歩引いて、市川は当時の反日の論調を「全然根本から培われた思想でな」いとし過剰反応を諌めているが、さすがに北京を象徴する中山公園の入り口に掲げられた「打倒日本」の看板には腹を立てる。それというのも、そこが「人皆が目を止めて感じを受け易い所」だからだ。そこで一転して「日本公使館は何をしているのかと一寸腹も立」てるが、「然し其下で・・・摘草している家族が有って、痩せたたんぽぽだが晩の御菜にするらしく手籠に摘みためてのんびりとした景色だ。なまじ騒ぎ立てるとかえって面倒なのかも知れぬ」と考える。
「其国民的色彩の薄さと民族的迫力の強さは鮮明なもの」を現代に敷衍して考えるなら、習近平が「偉大な中華人民共和国」といわず、ことさらに「偉大な中華民族」を持ち出すのも、どうやら納得できそうだ。やはり「国民的観念と縁の遠い人々」なのだ。
「この公園の入口に生新しい白い門に戦勝の額が掲げてある」のを見た市川は、「近頃支那がどこに勝ったか」と疑問を持った。どうやらこれは、30年ほど昔に起こった義和団事件の際、公使を殺されたドイツの申し入れで作らされた謝罪門を、「欧州大戦のどさくさ紛れに此処へ運んで、何が戦勝記念だか知らぬが、すまして建てたもの」らしい。かくて「徹底した図々しさが一寸痛快でもあり、この調子だから人をよくしていたら限りが無いとも思われる」と綴る。
そういえば中国各地に設けられた愛国主義教育基地という名の反日教育拠点を7,8年前から定期的に見学しているが、その中心である抗日戦争勝利記念モニュメントをみても、共産党とは無関係な場所に建てられたもの、つまり「何が戦勝記念だか知らぬが、すまして建てたもの」が少なくない。であればこそ、市川ならずとも「徹底した図々しさが一寸痛快でもあり、この調子だから人をよくしていたら限りが無いとも思われる」わけだ。
英語学者の眼力は、当時一流と評された漢学者や陸軍支那通を遥かに凌駕する。《QED》
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