樋泉克夫教授コラム

【知道中国 916】                        一三・六・初五

  ――「喧噪と臭気との他弁別し難い様な人の波だ」(小林の4)

 「杭州」「満州の印象」他(小林秀雄『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 小林は見掛け倒しの一例を上海の街頭に見た。
 「上海には堂々たる印度人の巡査が立っているが、それしても(友人の)Sからあれで全々見掛け倒しなのさ、と言われて、トルストイ翁が鉢巻をしてそのまま黒くなった様な物々しいのがはじめておかしくなった」という。そういえば香港でも、銀行や貴金属店などの入り口には「トルストイ翁が鉢巻をしてそのまま黒くなった様な」インド人の警備員が大口径の銃を構えて立っていたが、あれも「全々見掛け倒し」らしい。

 40数年前、初めて香港の街を歩いた時、偉丈夫然としたインド人警備員の前を通るのが怖かった。エラク物騒な街を留学先に選んでしまったと後悔したものだが、暫くして彼らが「全々見掛け倒し」でということが判ると、香港という街の“点景“の1つと思うようになったものだ。それにしても彼ら、なにを考え、なにを食べれば、あんなに「トルストイ翁が鉢巻をしてそのまま黒くなった様」になれるのか、じつに不思議だった。

 それから10数年後、仕事でバンコクに住むことになったが、ここでも裏路地などを歩いていた時、「トルストイ翁が鉢巻をしてそのまま黒くなった様な」インド人――その多くは街を行ったり来たりして商売するナッツ売り――とすれ違うことが少なくなかった。黒くなめした皮のような肌の色で、ノッシノッシと売り歩く。人類の悩みを一身に引き受けて悩みぬいているように神々しい姿は、まるで哲学者の佇まい。威風堂々、敬服驚嘆。

 だが、やはり印僑に違いはない。当時は、彼らと結構付き合っていたが、あれで存外にセコい。計算高い。たかが印僑、されど印僑である。

 話を小林に戻す。
 「上海で、実質そのものの様な姿で立っているのは日本の哨兵だけ。あとは、多かれ少なかれ飾物乃至は玩具めいている。スコットランドの兵隊が着いて、行列を見たが、あの股座に妙な毛をぶら下げた様子から戦争を連想する事は困難だった」ようだ。

 さらに上海の街で見かけた抗日のポスターにも、小林は「実質」を感じない。
 「街頭に、越王勾践臥薪嘗胆図と言う泥絵具で描いた大きな絵がある。言う迄もなく抗日のポスターなのだが、どうみても実感は来ない」。なぜなら、そこに描かれた越王勾践から、奪われた国土を取り戻そうという悲壮感が伝わってこないからだ。「越王勾践が薪の上にごろりとなっているはいるが、いかにも栄養の良さそうなのが肱枕で、凡そ暢気な顔で本を読んでいる。つくづく眺めたがどうも合点が行かない。こんな巨きな画を描かせたものは、確かに抗日精神というものだろうが、それがこんなにも滑稽なものになって了うのは、どういう精神によるのだろうか。そこには何か不具なものがある」と疑問を呈す。

 「なにか不具なもの」を杭州でも感じる。
 「杭州は抗日の中心地で、防空壕などは、素晴らしいのが出来ている」。そこで試しに巨大な防空壕を覗いてみた。「内部は、コンクリートの廊下が一町程もつづき、両側はホテルの様に幾つもの室で限られ」ているのだが、「なかの物は皆持って逃げたらしく何も見当たらないが、真新しい洗面器や水洗便所が、懐中電灯の下に光っていた」だけだ。

 工事の仕上がり具合に注目する。「仕事の念入りなのには驚く他はないのだが、又この念の入れ方をよく見るとやはり合点が行かない」のだ。どだい素人仕事ではあるが、それでも壁にはステキな装飾が施されている。だが、ステキな装飾は「無論防空とは何の関係もない」ではないか。そこで「仕事は防空の何たるかを解している素人の手でなったものではない」と断じた。実質とは懸け離れた見掛け倒しで、コケ威し。今も昔も・・・。《QED》



Copyright (C) 2012 Geibundo All Rights Reserved