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樋泉克夫教授コラム
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【知道中国 919】 一三・六・仲一
――「喧噪と臭気との他弁別し難い様な人の波だ」(小林の7)
「杭州」「満州の印象」他(小林秀雄『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
杭州探索を続ける小林は、大世界と名づけられた遊園地を見物する。「そのなかでは芝居や映画や其の他いろいろな見世物がある」。上海の旧市街にも同じような施設があるが、日本人なら「浅草のはなやしき」を想像すれば当らずとも遠からじ、である。
「抗日映画などには、馬鹿にできない作品があるそうだ」。だが「一般大衆が拍手喝采している映画は凡そ見られたものではなかった」。入場料は「兵隊さんは十銭で、一般人は十五銭だが、新政府のお祝いで今日は無料だ。大入り満員である」。暇潰しを生業としている彼らである。入場無料なら押し寄せるに違いない。「日本の傀儡」と大非難される維新政府だが、“暇潰し支援”といういい事もしているではないか。 幼稚極まりなく、タネも見破れそうな、それでいて「いつまで経っても何の変化も起こらない」手品だって、「皆満足気な様子だ」った。手品の次に登場したのは「無手無脚、怪童、劉福全という見世物」だが、「これはなかなか幼稚どころではなかった」。よほど関心を引いたと見える。小林は、その怪童の姿を綴っている。
「右手は肩の付根から二寸ばかり残り、左手は腕の関節から咲きがない。右足は膝まで、左足は大腿骨が中程で切れている。生まれたままの不具には、それでも何か自然なものが感じられるものだが、怪童にはそれがない。商売の為に不自然に製造されたものと察せられた」。かくて以前読んだモーパッサンの短編を引きながら、「両手両足共に無論曲がらず棒の様に胴体から生えて動くだけ。長い方の右手を杖の様に突いて、尻でひょいひょいと歩く。そのちぐはぐなので巧みに平均を取って逆立ちしてみせる」。
いろいろな芸を披露する怪童の「年齢の見当はつかない。最後に、紙を展べ、口に筆を含み、一枚に馬の画、一枚に東亜和平という字を書いてみせた」そうだが、どんな気持ちで、彼は「東亜和平」の4文字を書いたのか。客もまた、彼の書いた4文字を、どんな気持ちで見たのか。無料で見物した客の中には文盲も少なくなかっただろう。ならば果たして、客の何割が4文字の意味を理解しただろうか。
遊園地とはいえ、日本軍に後押しされた維新政府が押さえている杭州とはいえ、戦場であることに変わりはない。ならば当面の勝者の意に逆らうことはないだろう、ということだろうか。維新政府が倒れ、日本軍が去り、蔣介石政権が戻ってきたら、おそらく「蔣総統万歳」であり、その蔣介石を台湾に追いやって共産党政権が誕生したら、もちろん「毛主席万歳」だろう。
芝居をやっている隣の小屋を覗く。「ここも大入りで、相変わらずの臭気と喧噪だ」。芝居の途中、「突然二階の見物席の一隅がざわめき出した。喧嘩でも始まったのだろうと思っていると」、やがて「階下の見物も総立ちとなり、口々に何か罵り乍ら、入り口を目掛けて殺到した」。もちろん、訳も判らないままに小林も小屋の外へ飛び出す。
「やがて平静に返って芝居は続けられたのだが」、騒動の原因は維新政府が成立宣伝のビラを飛行機から撒くべく「低空飛行をやっているのを、二階から見た者が、空襲だと喚き出したのが始まり」だったようだ。事の顛末を知った小林は、「呆れざるを得なかった」と綴る。
だが、怪童の書く東亜和平の4文字も、維新政府が空中から散布する成立宣伝ビラも、新世界も、凡てが戦場であればこその出来事だろう。戦争の合間の、しかも束の間の暇潰しというもの。杭州を後に戻った上海で、小林は戦争の持つ他の一面に接した。《QED》
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