樋泉克夫教授コラム

【知道中国 920】                         一三・六・仲三

  ――「喧噪と臭気との他弁別し難い様な人の波だ」(小林の8)

 「杭州」「満州の印象」他(小林秀雄『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 杭州から戻った小林は、「安くてうるさくない」という理由で「ロシア人の婆さんの二階を借りて暫くそこにいた」。その婆さんは「日本の国民は大変ナイスだと眼をクリクリさせて首を振」る。上海に来て20年。「上海は好戦的市街で、人類は戦争が好きだ」と口にする。そこで「お前さんはどうも人類ではないらしい」と返すと、「そうだ、あたしはsomebody」だと。

 ロシア人婆さんは陽気に振舞ってはいるが、「一人で仕事をしている時は、何か大変侘し気に見えた」。やはり「はっきりした故郷を持った僕等には、そういう姿は一番理解し難い」。であればこそ、「僕等にはコスモポリットなどという言葉は到底解らない」のだ。「思想家は口を開けば、人類人類というが・・・単なる言葉の綾に過ぎない」のではないかと、小林は考える。

 小林は上海で出会う日本人にも目を向けた。
 「夜、飯を食いに出ると、酒を呑み大言壮語しているのが必ず一人や二人いた。満洲に何年いたとか、北支は何処を歩いてみたとか、内地であくせくしている奴等には支那はわからぬ、とか」。だが、そんな駄ボラのような話も「直に厭になり可笑しくな」る。それというのも、とどのつまり「彼等の嫌らしさや滑稽さが」、「彼等が文化というものの種子になる生活感情を失っていて而もそれに気が付かない、その感じではあるまいかと思」う。どだい彼らは「根底の日常生活が擦り切れて、そこが腑抜けになっているのである」と、断じた。

 「根底の日常生活が擦り切れて、そこが腑抜けになっているの」も、やはり戦争なればこそに違いない。
じつは小林は日本から上海への船中で、「このどさくさを利用せんとあきまへん」と言う大阪のポンプ屋と一緒になったが、上海の日本人居住区である「虹口の街にはそいういのが充満している」。彼らの内情を聞いているうちに、戦時下で取締りが厳重なうちに、「その厳重なのを逆用して、種々様々なしみったれた猾計を弄しているらしい」ことを知った。

 かくて「僕が虹口の街をさまよって痛感した事は、何処にも健康な気分というものが見られぬ事であった」。街の復興を考えている人は極く少数であり、「街の雰囲気を作り出している大多数の人々の目付きは、ただこのどさくさの利用に遅れまいとする焦躁を凡そ無恥に曝している」。

 「このどさくさの利用に遅れまいとする焦躁を凡そ無恥に曝している」のも、戦争が秘めた一面の真理だろうが、その一例を飲食店に認めた。

 「飲食店の数は街の割合に非常に多い。方々食い歩いてみたが、皆不味くて高い」。だが「蘇州河一つ越えて、旧英租界に這入れば」、驚くほど安くて旨い物が食える。「材料の不足は、支那人も日本人も同じ事だ」。支那人の「汚い小料理屋」で、「不足な材料でどうして甘く食わそうかとコックが苦心している」かを聞かされた。これが商売というものなら、「虹口の食い物屋などは、てんで商売というものをしていない」と苦言を呈す。

 そして、「汚い背広にゴム長靴、銜え煙草で」商売ならぬ商売に励む日本人は、「このどさくさよ、永遠に続け! と念じているに決まっているのだ。それで、わし達は倭寇再来の意気でやっとります、などと言っている」のだ。

 どさくさに「倭寇再来の意気」・・・これも戦争が引き寄せる現実というものだろう。《QED》




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