十数年前、友人宅にて「明け行く満蒙」と記された、灰皿を見た。聞けば、靖国神社境内での骨董市で購入したという。かつて日本が、満州そして内蒙古へ開拓団を送り出した頃の記念品ではないかと思う。
満蒙開拓については、「満蒙開拓青少年義勇軍」を題材にした番組などで、戦後世代も概略知る人もいると思う。
ただ、結果は、大陸からの帰還、また、それを果たせなかった日本人の悲劇となっただけに「二度と子供達を戦場に送り出してはいけない」という反戦的、ともすれば自虐的になりがちな面も否めない。 勿論、広義での「反戦」は、人類共通の認識であろう。
極論だが、あの中国にせよ、牙や爪を見せ、それを使用する意思を見せ、軍事的戦闘行為以前に勝つ戦略を立てており、これも戦闘回避という意味においては、「反戦」ともいえる。捕食者として「いかに自己のリスクを軽減し狩をするか」が中国の「反戦」だ。対する戦後、日本での「反戦」は、米国という「生簀」にいることを深く考えず、捕食される立場に身を置き、「平和」を唱えてきた。一口に「反戦」といっても、質は千差万別である。