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日露戦争に防衛の原点をみる

 日本にとっては、日露戦争以前に日清戦争があり、どちらも朝鮮半島を巡り、南下政策をとるロシアの脅威を防ぐことが最大の理由であることから、この二つの戦争は、不可分だ。

 清は、満州(女真)民族が、万里の長城を超え、中国本土を制圧、支配した国家で、中国の主流を成す漢民族国家ではない。その清朝が、凋落の様相をみせる後期、南下政策をとるロシアを食い止めることが出来ず、外満州(現、ロシア領)を失い、末期には満州全域の権益が、ロシアの支配下となった。満州族は清国を存続させながらも、故郷を失った。
 日本にとっても、対ロシア防衛は必然となり、自己管理が出来ず隙だらけの清およびその属国となっている朝鮮は、ロシアの南下を許す原因となる。
 そこで、日本は、清に朝鮮独立を認めさせようとし、斜陽の清は、朝鮮をより強固な管理下に置くことにした対立が日清戦争となった。

 一方、ロシアは、不凍港を求め南下政策をヨーロッパで進め、露土戦争で勝利し、権益を獲得したが、欧州各国の反発から、地中海を諦め、極東へ転換した。欧州各国にとっての厄介者を極東へ向けさせたということになる。
 奪おうとした相手が強ければ、もっと弱い相手を探し、奪おうとする。地中海での限界を感じたロシアが狙った、もっと弱い相手が、清国であったということだ。

 日清戦争により、冊封体制から解かれた朝鮮は、大韓帝国となったが、満州を支配するロシアと日本との間で、朝鮮半島を巡り、交渉は決裂し開戦となった。日本にとっては、脅威の対象である、真の敵との直接対決である。


【乃木将軍とステッセル将軍(中央)】



 この戦争で直接交戦したのは、日本とロシアであるが、主戦場となった大韓帝国は、親日・親露と別れ、日本と同盟関係を持つ英国、露土戦争でロシアに敗れたトルコ(オスマン)、そして米国が日本を支持した。一方、ロシア側には、交戦は無かったが、モンテネグロが日本へ宣戦布告をしており、ロシアと同盟関係にあり投資をしているフランス、そしてドイツが支持した。露・独・仏は、日清戦争後の三国干渉を行った図式である。
 ちなみにドイツは、「黄禍論」を説いている。「アジアはアジアのもの」を標榜する日本の台頭は、アジアで植民地政策を行う欧米にとって不利益を与えるものとして、とくに日本と同盟関係にある英国へ、欧米のアジア利権の立場から警鐘を鳴らしている。

 英国は、露土戦争後、地中海でロシア南下が現実的になったところを外交で阻止している。それが元で、ロシアは南下政策の舞台を極東に変えたのだが、清に対しても権益を持つ英国と、満州での権益を狙う米国は、やはり、ロシアの南下を防ぎたい。勿論、ロシアは、地中海で阻まれた以上は、是が非でも極東で南下しようとする。
 構造的には、ロシア対英・米の要素を大きく孕み、列強各国の思惑が混在し、グローバルな利害を持っていたことから、日露戦争は「第0次世界大戦」ともいわれる。



【陥落後の旅順港、wikipediaより】


 ロシアの南下を食い止めないと独立も脅かされかねない日本にとっては、生死をかけた戦いであったものの経済的には、英米に代わってロシアと戦ったことになる。
 分の悪い話だが、国の存亡がかかっているのだから、止むを得ない。このことは、伊藤博文は知っていたものの、「帝国か属国か」という時代だけに、民衆心理は、労力や犠牲に対する対価が少ないことに不満が出た。

 時代を経て、21世紀の現代。直接的には、他国を侵略して植民地化するということは、国際社会が許さない感覚はあるが、結果、力がものをいう構造は、基本的に変わってはいない。
 今一度、日露戦争を思い起こし、各国の思惑に利用されていがらも、国の存亡に関わるところに立たされたとき、何を最優先とするか、国防の原点をみることができる。
 日露戦争は、各国の世界観を変える精神的インパクトを与えたが、当の日本は、第二次大戦後、敗戦により、深い眠りに入ったかのごとく、非現実的な「専守防衛」を標榜。攻撃力を抑止し、反撃の意思を示さない姿勢をとってきた。
 だが、そうはいかない現実を、中国が示している。中国よ、目覚めさせてくれてありがとう。


【平成22年10月2日名古屋尖閣デモ】

平成23年1月15日 記 
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