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朝鮮も中国に楯突くぞ!

 朝鮮文化に「恨(ハン)」という感情?がある。以前、留学生の日本語による弁論大会の一次審査を引き受けたが、私の担当は韓国だった。
 多くの作文を受け取り、読んだところ大半の作文に「恨」「恨の文化」というワードが出てくる。
 文字のイメージから、ある程度の想像はできるが、本当の意味が分からないので、在日韓国人に聞いてみたが、「在日(韓国・朝鮮人)では、本当の意味は、分らないと思う」という。抑圧と屈辱の状態が世代を超えるほどに長期に渡ることで、生じてくるものかと思うが、あれから20年が経ち、南北緊張状態ではあるが、韓国は先進国として、生活も日本と同水準にある。
 そうなると、前述の在日韓国人の言葉からすれば、韓国人にも「恨」の本当の意味は、分らなくなってきたのではないかと思うが、実際はどうだろうか。

 異民族からの屈服・服従を余儀なくされて「恨の文化」が、形成されたという見方がなされているが、そうなると「恨=弱い」という印象だが、長い歴史の中では、中国の言いなりばかりではない。 満州と朝鮮半島は、大雑把にいえば同系であり、本来、強い民族のはずではないかと思う・・・ということで、朝鮮は、こんなに強かった例題を拾ってみた。

 聖徳太子が隋の煬帝に送った国書「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」に、中華(支那の自称)の暴君、煬帝は、東夷の島国が対等に天子を名乗り、怒り心頭であったが、高句麗に手を焼く隋は、我慢(?)して日本との友好関係を優先した。
 自称中華は、例により周辺へ覇権を行うも、高句麗はよく戦い、隋滅亡の最大要因となった。高句麗、あっぱれなり!

 朝鮮三国時代、新羅は、自称中華の「唐」と同盟を結び、高句麗と百済を破り(百済を支援した倭国軍も破った)、朝鮮半島を統一した。しかし、外国の手を借りての統一は、リスクが高い。ましてや相手は、尊大な中華帝国。
 案の定、唐は朝鮮半島を支配しようとしたことから「羅唐戦争」となり、新羅は、唐を朝鮮半島から駆逐した。しかし、戦争中も唐への朝貢を続けていた。いくら新羅が強くても、唐を征服する発想は無かっただろうから、戦後の付き合いを視野にいれてのことだったのだろうか?新羅、強かなり。
加筆するが、この頃、新羅人が「新羅が強くなりたい」と熱田神宮から、草薙の剣を盗んだ(コラッ!)事件があった。


【チンギス・ハーン】
 他国による完全な抑圧の歴史は、高麗の「元」への服属が、はじまりと考える。それまでは、中国や満州を支配する周辺国家と朝貢外交をして、バランスをとっていた。
高麗が建国した頃は、中国大陸は戦乱から宋が統一する兆しが出てきた時代。
 高麗は、北部に満州・南モンゴルを支配する「遼(契丹人)」から再三攻撃を受けたが撃退し、講和となる。契丹は、その後、西方へ向かい、女真族が台頭。高麗は、女真族の脅威から長城を建設し、防衛を図る。「天高く馬肥ゆる秋」は中国の話だが、朝鮮半島にもあてはまる。
 女真族は、中華帝国を目指し「金」を建国。契丹の遼を滅ぼし、北宋をも滅ぼした。朝貢外交をする高麗は、相手が複雑化して大変である。
 金が南宋と対峙している頃、モンゴルでは、チンギスハーンの蒙古が台頭。南下し、金は滅亡(女真族は、長い歳月を経て「後金・清」となって再び、中華帝国を目指す)。
 金が、宋へ向いていた頃は、平穏が続いた高麗だったが、金の滅亡により、蒙古軍が高麗に侵攻し、高麗は、徹底抗戦をする。
 その後、蒙古から、高麗が臣下となるよう要求がくるが、拒否し、再び、蒙古が侵攻したが、高麗は、このときも徹底抗戦となり、続くこと約30年。
 中華を制覇した蒙古にこれだけの期間、抵抗したのは凄いことだ。

 しかし、持ちこたえられたのもそこまでだった。近隣で一緒になって、蒙古を撃退できるだけの勢力も存在せず、服属しか道は無かった。
 抑圧と屈辱の中、民族の存続をかけて自ら、元寇となったのだろう。
 これ以降、支那大陸の覇者は、明、そして清となる。朝鮮半島は、高麗が滅亡し、李氏朝鮮となるが、蒙古服属以前の状態に戻ることはできなかった。
 日清戦争後、冊封から解放されるが、長年、支那大陸の覇者の臣下で生きてきた朝鮮と、列強の脅威に対抗するために近代化した日本とでは、「冊封」に対する受け止め方が、かなり違うように思う。不安定状態の結果、併合の道を歩んだが、高麗が“元”に服属する以前の状態で国家が存続してきたなら、「恨の文化」もなく、当時の極東情勢に対し、方向性を共有することができたのではないだろうか。

 現在、韓国には、日本と同様、米軍が駐留し、地位協定も存在する。しかし、れっきとした軍隊を保有している。
 中華人民共和国が核保有をしたときの日本に対する米国の見解が興味深い。――日本にとって、格下の中国が、核を持ったことにより、日本が核保有する可能性がある――というもの。
 「中国は格下」「核保有」、本当に日本が、そうならば痛快だ。しかし、実際には、占領政策による、骨抜きの進行が、予想以上に早かったのか、日本で核保有議論などタブーであった。
 それどころか、いまや中国様さまである。米中に朝貢・冊封体制だ。

【朴正煕韓国大統領】
  日本の動向を心配した米国だったが、現実に、中国の核保有に対抗し、核開発をしようとしたのは、朴正煕、率いる韓国だった。朴正煕は、米国の要求を呑んで、韓国軍をベトナムへ送り戦っている。「元寇」に似た図式だが、それでも、中共に対抗するために独自で核開発をしようとしたところなど、隋に楯突く、高句麗を連想する。
 さすがに、韓国が核保有すれば、韓国と敵対関係でなくても、日本も持とうとしたのでは、ないだろうか。韓国によって、東アジアの状況が大きく変わっていたかもしれない。
 一説によれば朴正煕が、暗殺されたのは米国の言うことを聞かなかったから。台湾の蒋経国が、長生きしたのは米国の言うことを聞いていたからとか・・・定かではないが、なるほど、そうともとれる。

 さて、私たちは、日本の義務教育で朝鮮半島は、かつて「高句麗」「新羅」「百済」という国があったことを習ったが、中国は、高句麗を中国史としている。
 高句麗に似た、勢力図を持った「渤海」は、中国史よりも朝鮮史に近いと思うが、満州史と言った方があてはまる。高句麗は、朝鮮史、満州史の両方でよいと考える。
 中国は、大清帝国の領土を継承すると勝手に言っているが、清は、中華風(料理ではない)にいう、北伐・東夷の満州民族が、南下し、中国全土を支配したわけで、もともと満州は中国ではない。また、歴史的に中国という定義そのものが曖昧である。
 それが、現在、中国が内満州を支配しているからか、いろいろ理屈をつけて、高句麗を中国の地方政権とか一部という言い方で中国史としているようだ。

 李登輝台湾元総統は、中国を「美人をみれば、『自分の女房』という国」と表現したが、全てにおいてあてはまる。

平成23年1月18日 記 
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