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皇帝とは違う日本独自の君主

 覇者は、国の平定を維持するために称号を持つ必要がある。最高位の称号は、それを保障する「広義での力」があって成立する。(「力=悪」と解釈しないように)
その最高位が、君主であり、一般的には、「皇帝」=「emperor(エンペラー)」である。ただ、言葉は人類が、模索しながら完成させていくために、君主は、国によってニュアンスに違いがあり、英国では、「Her Majesty The Queen」として、女王陛下エリザベス2世が君主となる。
現在、世界で「エンペラー」と呼ばれるのは、わが国の天皇陛下のみと思われる。

秦の始皇帝像
 紀元前221年、中原(中国)において燕・斉・楚・秦・韓・魏・趙の7カ国による戦国時代を勝ち抜いた、秦王「嬴政(えいせい)」は、制圧した諸国のトップと並列する「王」より上位とするため、天を用い「天皇」と「帝」の造語「皇帝」とした。そこで、最初の皇帝の意で「始皇帝」と名乗った。いわゆる「秦の始皇帝」である。 以降、この地域で覇者となった者は、民族問わず、皇帝を名乗った。また、それら「中華」の皇帝は、周辺国の「王」を指名する冊封を行い、受けた側は、中国王朝の保障を背景に、その地域を治めた。
 そのような東アジア事情から、聖徳太子は、隋皇帝、煬帝に「日出ずる処(倭)の天子、書を日没する処(隋)の天子に致す」と対等であることを示した。ちなみに日出、日没するとは、東方、西方という意味で、日没=斜陽・凋落という意味ではなかったが、隋は、間もなく没した。
 ヨーロッパでは紀元前27年、ガーイウス・ユーリウス・カエサル(シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」)が、共和制の中で初代ローマ皇帝となった。エジプト女王にクレオパトラを据えたが、これも冊封か。 面白いことに、唐などのシナ王朝では、ローマ帝国を「大秦」と表現したそうだ。「秦」からきたのだろうか?

フランス革命:ルイ王朝が倒れた。あの「ベルサイユの薔薇」の時代だ。

 第一次世界大戦でドイツの敗戦が濃厚となり亡命した、カイザー・ウィルヘルム2世の「カイザー」は、カエサルから由来する。ヨーロッパでは、今でも王家が存在するが、歴史的に国家間での婚姻などが行われ、形式では、日本でいう「大名」に近い。皇帝は、自らの失政や、民主主義、更には共産主義のように極度に平等を唱える思想が台頭し、20世紀に入り、次々と消失していった。


帝政ロシアを倒し、世界初の共産主義国家ソ連を建てたレーニンの演説。
しかしソ連は、一世紀を経ずして解体した


 日本では、武家政治の江戸時代が終わるまで、朝廷と同時に将軍家が存在した。政治を任される将軍家も血統の継承があったことから、欧州からみれば、エンペラーが二者存在することになり、表記が当を得られなかった。やはり、文化的背景の違いから、エンペラーを天皇と訳すには限界がある。
 古代日本では、天皇を「スメラミコト」と呼び、これが、本来の称号になる。その後、漢字文化に合わせて「天皇」とされたといわれる。日本神話は、天上におられるのは「神」で、降臨すると「命(みこと)」となるという。天皇は悠久の歴史を経て、万世一系であると同時に、霊的継承が条件となる。
 今上陛下も大嘗祭を経て、国内外に、御即位宣言されたことを記憶する人も多いはず。性格的に海外では、国家元首よりもローマ法王の方が、天皇に近い。ここに「皇帝」とも「エンペラー」とも訳しきれない、唯一無二の存在が「天皇」ということになる。

【神武天皇】
平成23年1月25日 記 
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