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魔物の棲む大陸 塚本三郎
日本は海洋国家として、広く欧米と協力し合っている時は、平和と繁栄を保って来た。
逆にアジアは一つと考え、支那大陸と深く交流せんとしたときには、失敗し苦汁を味わって来た。そして今また、その失敗を繰り返しつつある。
約八百年昔、聖徳太子が、支那には対等にして深入りしなかった歴史を学ぶべきである。
善意が裏切られた満州建国
赤い夕陽の満州は、私どもの青春時代、あこがれの新天地であった。
日露戦争の結果ポーツマス条約によって、日本は帝政ロシアに代って、満州における権益を手に入れた。即ち関東州の租借権、そして遼東半島をも清国から租借した。さらに東清鉄道南満州線とその周辺の経営権を手中にした。それは南満州鉄道に属する炭鉱の採掘権も得たことになった。
日本政府は、南満州鉄道という国策会社を作り、当時の金で二十億円以上の大金を投じ、満州は日本人にとっては「資源の宝庫」「開拓移民の新天地」となっていた。
当時は欧米列強が、アジアをも植民地とした帝国主義全盛の時代でもあった。
満州の大地は、帝政ロシアに代って、共産主義ソ連が再び南侵して来る危機に備えて、日本の国防の最前線として、コントロールする必要があった。
石原莞爾は、昭和のはじめ東亜連盟を結成し、やがて米・英が加える圧力に対抗する手段として第二次世界大戦に備え、日本と支那が一致結束して協力する必要を説いた。
それゆえ、支那を助ける為には、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦の結果日本が得た「支那大陸の権益」を、すべて無条件で、支那の蒋政権に返し、その地に根を張り、権益を持っていた日本人は、すべて引き揚げて、その代わり満州に新天地を求め理想の天地を拓くのは、満州であると主張した。当時満州は、張学良や馬仙山等が馬賊の如く荒らしまわった荒地でもあり、支那政権の及ばない化外の地であった。
時あたかも一九二九年、アメリカに発した世界恐慌のうねりは、日本にも昭和恐慌として経済不安が拡がり、失業者が巷にあふれた。その状況の下でい広大な土地と豊富な資源を持つ満州が希望の大地と思われ、人口の増大と失業者を抱える日本にとって、満州こそ光り輝く新天地であり、「無涯の沃野」であった。
石原莞爾の行動は、日本の運命を変えた大計画の断行と、その成果によって日本の運命を拓いたかに見えた。事実、日本人五百万人の移住計画は果たせなかった(二十七万人に止まった)が、しかし支那、朝鮮などから新天地を求めて、年間百数十万人が移住した。
当時二千万人の満州国の人口が、終戦時には四千五百万人に達した(僅か十三年間)。
アジア大陸で、満州ほど平和で、希望に満ちた国家は世界史上に類をみなかった。だからこそ、自国を捨ててこの地に、これ程の人の大移動が在ったのではないか。
満州国こそ、「日本の生命線」と国連で叫んだ松岡洋右代表の叫びは、結果はどうであれ、日本人及び全アジア人の希望の叫びでもあった。
満州事変から敗戦まで、十五年間の支那大陸に於ける日本軍と、支那の蒋政権の争いは、残念ながら明治以来築き上げて来た、日本の全財産を賭けた闘争で見事に敗れた。
「満州建国が見事に成功した」のに「成功した満州によって、近代国家日本が敗れた」のはなぜか。日本の最大の不幸の原因は一体何であったのか。
石原に代って東條英機が関東軍の参謀長として赴任した。石原の居なくなった満州は、建国の成果を挙げつつも、隣の支那全土に戦線が拡大されてしまった。
支那軍から戦争を仕掛けられても手を出すな、支那をいじめず、蒋介石政権を助けて「大東亜の協力」を造ろうと志した石原の、参謀本部からの叫びは現地に届かなかった。自分が参謀本部の禁止令に背いて起した満州事変を振り返って、今度は関東軍が参謀本部の命令に従ってくれなかった。それこそ因果の恐ろしさを体験したことであろう。
第一次世界大戦終了までは、日米間の友好が続いた。しかし、やがて太平洋をはさんで、日本と米国は相対立する戦争の気運が一挙に拡大した。
石原莞爾も、北一輝も、既に第一次世界大戦直後から、この点を指摘し警鐘を乱打しっつあった。しかし、日本政府、特に近衛首相を中心とする指導部は、支那大陸に機軸を置き、支那への「膺懲思想」となり、日本の国力の大半を、蒋政権打倒に注いでしまった。
太平洋に覇権を拡大しつつある米国は、日本の国力を減殺するため、支那の蒋政権を支援し、事毎に満州建国の非を世界に向かって叫び、蒋政権に支援を拡大した。日支事変は、「日米決戦の前哨戦」であることに、日本政府は気付かなかったのだろうか。
日支事変の火付役中共軍
昭和十二年七月七日、慮溝橋事件に火を点けて、日支事変を起させ、局地解決を妨害して、戦火を、やがて支那全大陸にまで拡大させ、その陰で漁夫の利を占めたのが、ソ連のスターリンであり、中共の毛沢東であった。この事実を、未だに世界をはじめ日本人でさえ、「日本軍の大陸への侵略だ」と、余りにも馬鹿げた迷信に溺れている。
一九四九年、中国共産党・劉少奇副主席が「慮溝橋事件の仕掛人は中国共産党であり、その現地責任者は自分であった」と、証拠を示して、西側記者に公表している。また中国解放後、中共軍が発行した「戦士政治課本」(兵士教育革命教科書)の中に、「七・七事件は、劉少奇同志の指揮する抗日救国学生隊の一隊が、決死的行動をもって、党中央の指令を実行したものである。これによって蒋介石南京反動政府は、世界最強を誇る日本軍と戦
わざるを得なくなった」と誇らしげに書いている。
日本軍は蒋介石軍の仕業と信じていた、蒋介石軍は日本軍の発砲と誤信していた。この争いは幾度も停戦協定を結びながら止まなかった。その原因が、日本軍と蒋介石軍を戦わせる中共軍の謀略であることに双方が気付かなかった。
冷静な戦略家毛沢東は、正面の敵、蒋介石を虜として、国共合作の名によって、まず最大の敵日本に総力をもって当たることに成功した。それと逆に米国は結果的に、日本憎さのゆえに、蒋政権の支援に力を注ぎ、日本を倒し、結果として中共を助けてしまった。
中国の前主席江沢民・胡錦涛の両氏が、日本に向かって「歴史を学べ」と叫んでいるのは正気か?、若し日本人がまじめに、満州建国から日支事変に至る争いの事実を学べば、中国共産党が、如何にして国際法と条約を、暴動によって踏みにじったかがわかる。
米国は、蒋介石政権を利用して、支那大陸の戦争を泥沼と化せしめ、南京から武漢へ、そして重慶へと戦線を拡大させ、その間、莫大な軍事費の支援を蒋政権に行って、日本の戦力の大半を大陸に釘付けした結果、日本は太平洋戦で疲弊して大敗した。
日本が支那を助ける為に、満州建国を達成しながら、支那を敵としたことと、米国もまた逆に、支那の蒋政権を助け、結果として支那大陸に共産政権の樹立に寄与してしまった。
両国の支援が裏目に出たのは、邪な支援の為か、はたまた魔物の棲む大地なのか。
傲慢か無知か
最近の中国指導者は、傲慢なのか、国際条約に無知なのか。日本に対して、内政干渉の暴言を重ねている。普通の独立国ならば国交断絶となろう。
近々、日本のマスコミに「小泉首相が靖国神社へ参拝しないならば、日本の国連常任理事国入りも、問題のガス田の開発も話し合いの用意がある」と発言している。まるで居直り強盗の言いぐさである。
それにひるむことなく十月十七日、靖国神社の大祭に、小泉首相が参拝されたことは、独立国家として当然のことで私は素直に喜びたい。中国・韓国は、小泉首相の靖国神社参拝を非難することによって、日本の国論の分断を策している。
それを知ってか、知らずか、自民党を除く各政党党首及び大部分のマスコミは、反日の非難を加える中・韓両国の代弁者の如き発言を重ねている。
その上、中・韓両国との関係改善がより困難になったと、まるで一方的に小泉首相の靖国神社参拝が、日本国家にとって悪事を働いたかの如き発言である。「政争は水際まで」、「内政の対立を外交にまで持ち込むな」これは政治家の魂である。
中国政府は、財政収入の殆んどを、土地使用権の払い下げによって賄っている。その結果、不動産バブルを産み出し、金融機関を土地転がしと建築ブームに煽り立てて、経済発展を促しているが、今や人民銀行の不良債権は九〇%を超えるという見方さえある。
不動産バブルによる銀行の破産が迫り、土地の使用権を金持ちに払い下げたため、今まで住んでいた住居を追われた、流浪の人民の不満は発火点に達しつつある。
人民の不満を和らげる方法は、敵を外に求めるナショナリズムが常套手段である。
今日の中国は、天下大乱の兆しが見え姑めた。その時、政権と国家を救う最後の手段が、祖国統一実現の名目による戦争挑発である。対台湾戦争の発動が心配だ。
今日まで中国は、自己の政権確立と維持のため、三千万人の大衆を虐殺してまでして、国家の権威確立に血道をあげている。そして今、その目標を日本と米国においている。
中国は「日本の戦争犯罪を糾弾」することによって、国民の政権に対する不満を日本に向ける。その上、次々と資金を要求して、日本を「魔法の杖」に利用している。
最近の一例は、旧日本軍の遺棄化学兵器が原因で、農民が有毒物質を吸って死亡した等の難クセである。中国の発表では二七〇万発と言っていた。しかし日中共同で調べてみたら、その四分の一にすぎなかった。さらに八路軍や蒋介石軍等の残したものも大量に含まれている。もっとひどい話は、一度処理したはずの化学兵器をたらい回しして、別の場所に、そのドラム缶を密かに土中に埋め戻し、新しいのが見つかったと言っている。
かくて中国政府は、日本の資金を強奪する、恥知らずの行為を重ねている。日本政府は、その処理に一兆円近くを要求されている。当初は二千億円と合意したが、次々と難クセをつけられ、やがては一兆円どころか二兆円にも広げられると心配されている。
国家と公共こそ日本の魂
小泉政権は、民で出来ることは、官から民へと叫んで郵政民営化の選挙に勝利した。それは「官と公」をなくして「民と私」を中心とすると解すならば極めて危険である。
日本の強さは、「国家と公共を大切にする魂」に在った。しかし今の日本は、国家・公共の言葉を失いつつある。その果ては国家衰亡の道を歩むことになる。
この迷惑な隣人を控えた日本は、国家の背骨である外交と防衛を正すことであり、そのため、まずあなた任せの憲法を廃して、自主憲法を制定することである。
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十月下旬
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